第三百四十九話 「死」の理解(1)

夢といわゆる現実との違いは、“過去・現在・未来”という時間の流れが一方通行なのか、両方通行なのかの違いである。
現代社会に生きているわたしたち人間の80年の人生は、およそ53年間の目が覚めている人生と、27年間の眠っている人生に分かれ、27年間の眠っている人生は、18年間の熟睡の人生と9年間の夢の人生とに分かれています。
目が覚めている状態と、眠っている状態の違いは、五感機能の働き具合による違いだけで、五臓六腑と言われている内臓は一生働き詰めです。
つまり、
目が覚めている状態とは、五感が全部機能しているのに対して、眠っている状態とは五感の一部だけが眠っている状態に外なりません。
そうしますと、
夢を観ている状態は、眠っている状態というよりも、目が覚めている状態に近いことがわかってきます。
何故なら、夢を観ている状態では、五感は全部機能しているからです。
一方、
熟睡している状態では、五感は殆ど休んでいます。
結局の処、
眠っている状態でも、五感が全部休んでいる状態は無いのです。
つまり、
五感が完全に休んでいる状態とは、自我意識(エゴ)の「死」の状態に外ならないのです。
永遠の眠りと言う「死」とは自我意識(エゴ)の「死」に外ならないのです。
一方、
五感のみならず、五臓六腑と言われている内臓も永遠の眠りに就いた状態が完全な「死」であるわけです。
従って、
わたしたちが考えている「生」と「死」の問題とは、自我意識(エゴ)、つまり、五感機能の「生」と「死」の問題であったことを肝に銘ずることが、何にも増して大事なのです。
わたしたちが考えている「死」とは、肉体全体の「死」ではなくて、肉体の一部である五感機能が生む自他の区分け意識、つまり、自我意識(エゴ)の「死」に外ならないのです。
輪廻転生説である、“肉体は滅びても、魂は永遠である”というのは、まさしく幻想(映像)の世界の話であって、実在(現実)の世界では、「死」とは魂の死であって、肉体は永遠のものなのです。
先ずこのことを理解する必要があります。