第三百五十一話 「死」の理解(3)

わたしたちは一日の人生を、目が覚めている人生と、眠っている人生の二つに分け、目が覚めている人生を現実(実在)の人生と捉え、眠っている人生は目が覚めている人生の副次的なものとしか捉えてきませんでした。
つまり、
眠っている人生は、目が覚めている人生の休息する場所に過ぎず、自分の人生の主舞台は目が覚めている人生にある、と思い込んできました。
どうやら、この区分けの仕方がそもそも勘違いであったようです。
目が覚めている人生と眠っている人生ではなかった。
更に、
目が覚めている人生が主、眠っている人生は副ではなかった。
ここにも、二重の錯覚が起こっていたのです。
生きている人生と死の一瞥の人生があり、死の一瞥の人生が実在で、生きている人生は死の一瞥の人生の不在概念に過ぎなかった。
まさに、「死の世界」が実在で、「生の世界」は「死の世界」の不在概念、つまり、「映像の世界」に過ぎない。
言い換えれば、
死の一瞥の人生が熟睡の人生です。
実在の人生です。
生きている人生が、目が覚めている人生と夢を観ている人生です。
不在概念の人生、つまり、映像の人生です。
わたしたちは、目が覚めている人生と眠っている人生があって、眠っている人生に夢を観ている人生と熟睡している人生があると錯覚していたのです。
熟睡している人生が、死の一瞥の人生で、実在の人生です。
何故なら、熟睡の世界が完全な死に繋がっている世界だからです。
目が覚めている人生と夢を観ている人生が、生きている人生で、不在概念(映像)の人生です。
先ずこのことを理解する必要があります。