第三百五十六話 「死」の理解(8)

わたしたち80年の人生の中、53年間の現実の世界と思い込んでいた昼間目が覚めている人生は、9年間の夜間夢を観ている人生と何ら変わらない、“過去・現在・未来”に想いを馳せるだけの映像の世界だった。
しかも、
9年間の夜間夢を観ている人生は、“過去・現在・未来”は両方通行なのに対して、53年間の昼間目が覚めている人生は、“過去・現在・未来”は一方通行だった。
目が覚めている世界よりも、夢を観ている世界の方がまだリアルだったのです。
9年しかない夢の人生の方に、53年間もある目が覚めている人生よりも実現可能性が潜んでいたのです。
映画館で映画を鑑賞するのを人生で喩えると、白いスクリーンに映画(動画面)が映るためには映写フィルム(静止画フィルム)が要るように、人生という白いスクリーンに映っている映画(動画面)を実現するには映写フィルム(静止画フィルム)が要るわけです。
映写フィルム(静止画フィルム)をカメラで撮るのは夢の時で、目が覚めている時ではないからです。
何故なら、
夢の時が過去・現在・未来が両方通行だからです。
目が覚めている時の過去・現在・未来は所詮一方通行だからです。
昼間目が覚めている人生よりもリアルな夜間夢を観ている人生だから、見果てぬ夢ではなく、見果てる夢なのです。
夢とは実現するものなのに対して、昼間目が覚めているいわゆる現実とは実現不可能なものです。
何事にも、10年継続すれば不可能なことはない証左がここにあって、生・死の問題は、「死」の理解に掛かっている証左でもあります。
最後にこのことを理解する必要があります。