第三百六十一話 死期がわかる死

人生の意味とは死以外にありません。
生きるとは死ぬことに外なりません。
何故なら、生きる最後に死があるからです。
従って、
「死の理解」なくして、生きる意味はありません。
わたしたち人間は「死の概念」を持っていても、「死の理解」に至っていません。
だから、
わたしたち人間は、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生を送ります。
わたしたち人間が未熟な知性を持っている証左です。
他の生きものは「死の観念」を持っていても、「死の概念」は持っていません。
だから、
他の生きものは、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖と無縁の一生を送ります。
他の生きものが知性を持っていない証左です。
わたしたち人間は、「死の理解」を持てれば、四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた一生を送ることができます。
わたしたち人間が成熟した知性を持つことです。
「死の観念」は、「食う食われる」意識であって、自分が死ぬことを知らないことに外なりません。
「死の概念」は、「殺す殺される」意識であって、自分が死ぬことを知ったことに外なりません。
だから、
“自分も必ずいつか死ぬ”という意識は、「殺す殺される」意識に外なりません。
従って、
「死の概念」は、他殺の意識に外なりません。
だから、
“自分も必ずいつか死ぬ”という死期がわからない死なのです。
「死の理解」は、「自ら死ぬ」意識であって、自分で死ぬことを知ったことに外なりません。
従って、
「死の理解」は、自殺の意識に外なりません。
だから、
“自分は必ずいついつに死ぬ”という死期がわかる死なのです。