第三百七十話 死季(四季)を思い出す(7)

『今、ここ』にいるホンモノの自分を想い起こすことができれば、自から、自分の死季=四季を思い出すことができます。
自分の死期は端から決まっている所以がここにあります。
母なる地球の寿命が決まっていれば、地球の各構成員の寿命も決まっているのです。
自動車の各部品の寿命は、自動車本体の寿命によって決まっているのと同じメカニズムです。
わたしたち人間も含めて、地球上の動物・植物・鉱物は地球という自動車の一部品に過ぎません。
このことを理解している他のすべての生きものたちは、地球と一体感(全体感)で生きていて、全体である地球を全面的に信頼しているのに、わたしたち人間だけが、地球から独立した部分観で生きているから、自己の死を怖れるのです。
「死」とは、心身共に全体に戻ることに外ならないのです。
『今、ここ』が「死の世界」である所以です。
自我意識(エゴ)の消滅こそが「死」に外ならないのです。
「生」と「死」の問題は、「この世」と「あの世」という「空間」の問題ではないのです。
「生」と「死」の問題は、“過去・現在・未来”という「流れる時間」と、『今、ここ』という「静止した時間」の問題なのです。
結局の処、
「生」と「死」の問題は、「時間のある世界」と「時間のない世界」の問題なのです。
「時間の概念」こそが、わたしたち人間にとって元凶だったのです。
その究極に、死期=死季=四季が潜んでいるのです。