第三百七十五話 時間という悪魔

過去・現在・未来という「時間の概念」は、実は、本当の時間ではなく、光景(空間)だったのです。
だから、
過去・現在・未来に想いを馳せることは、ニセモノの自分、つまり、自我意識(エゴ)を恰も存在しているかのように錯覚させるのです。
まさに、
空間を時間と錯覚させている。
その正体が、過去・現在・未来という「時間の概念」だったわけです。
わたしたち人間は、すべてにおいて逆さまに生きている。
空間を時間と捉え、時間を空間と捉えてきたのです。
まさに、
天動説と地動説が逆さまであるのと同じです。
わたしたち人間は、知識では地動説を信じていますが、体では天動説を信じています。
『今(地球号)』という名の時間の汽車に乗って人生という旅をしている自分が、窓のカーテンを開けると過去・現在・未来という光景(空間)を観る。
自分が『今(地球号)』という名の時間の汽車と一緒に動いているのに、自分は静止していて、窓外に観える過去・現在・未来という光景(空間)が動いているように錯覚している。
現に、
わたしたちが立っている地面、つまり、一日に一回自転している地球の表面は、およそ時速1750kmという猛烈なスピードで運動しているのに、まるで止まっているように錯覚して、止まっている天(空)が動いているように錯覚しているわけです。
この錯覚に気づかない限り、わたしたち人間は、実は頭で立って生きているのに、足で立って生きているという錯覚から脱却することはできません。
つまり、
過去・現在・未来という空間を時間と錯覚している限り、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送るしかありません。
従って、
過去・現在・未来という空間を時間と錯覚している限り、差別・不条理・戦争を繰り返す一生を送るしかありません。
従って、
過去・現在・未来という空間を時間と錯覚している限り、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度の人間社会で一生を送るしかありません。
従って、
過去・現在・未来という空間を時間と錯覚している限り、宗教と科学を盲信する一生を送るしかありません。
時間という悪魔と決別する覚悟が要るのです。