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第三百七十六話 欲望と時空間 ニセモノの自分、つまり、自我意識(エゴ)が、過去・現在・未来に想いを馳せるのは、欲望があるからです。 つまり、 過去・現在・未来に馳せる想いとは、欲望に外ならないのです。 つまり、 ニセモノの自分、つまり、自我意識(エゴ)とは、欲望の塊に外ならないのです。 つまり、 わたしたち人間が“自分”と思っているものは、欲望の塊に外ならないのです。 従って、 ニセモノの自分、つまり、自我意識(エゴ)である欲望には時間という空間が必要なのです。 空間がなければ、欲望は存在し得ません。 つまり、 手の届かないことを望むのが欲望の正体なのです。 言い換えれば、 既に手にしているものを望む必要はありません。 既に手にしているものは、『今、ここ』にあります。 更に言い換えれば、 無いものねだりをするのがニセモノの自分、つまり、自我意識(エゴ)である欲望に外ならないのです。 『今、ここ』にあるものを望むべくもありません。 従って、 無いものねだりをするには、『今、ここ』との間に空間が要ります。 従って、 無いものねだりをするには、『今、ここ』との間に時間という空間が要ります。 それが、過去・現在・未来という時間に外なりません。 それが、過去・現在・未来という光景(空間)に外なりません。 つまり、 わたしたち人間が時間と思っている過去・現在・未来は光景(空間)に外ならないのです。 時間と空間、つまり、時空間の定義をつくり出した人間の意図がここにあったとすると、人間社会とはなんと悍しい社会なのでしょうか。 |