第三百八十話 とんでもない人間社会からの脱皮の鍵

文明とは一体何であったのか。
文明とは知性の幕開けに過ぎなかったのではないだろうか。
文明とは未熟な知性に過ぎなかったのではないだろうか。
つまり、
文明とは、「宗教と科学」に外ならなかった。
「宗教と科学」はどうやら未熟な知性の産物に過ぎなかったようです。
古代・中世・近代・現代と引き継がれてきた文明社会でしたが、一貫していたのは、「オス社会」を頂点にして、「宗教と科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングル構造の社会であったことです。
古代社会と中世社会が、「オス社会」を頂点にして、「宗教」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングル構造の社会であった。
近代社会と現代社会が、「オス社会」を頂点にして、「科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングル構造の社会であった。
古代・中世社会では「宗教」であったものが、近代・現代社会では「科学」に取って替わられただけで、「オス社会」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」は何も変わっていなかったのです。
文明とは、「宗教と科学」に外ならない所以です。
文明とは、未熟な知性の産物である「宗教と科学」に過ぎない所以です。
「宗教と科学」という未熟な知性の産物が、差別・不条理・戦争を生み出す元凶である所以です。
「宗教と科学」という未熟な知性の産物が、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の人生を生み出す元凶である所以です。
従って、
これからやってくる二十一世紀の新しい時代、つまり、「新代」とは、未熟な知性から成熟した知性への脱皮の時代であると言っても過言ではありません。