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第三百八十五話 人間に残された道 「オス社会」を頂点にして、「宗教と科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングル構造の社会こそが、利益社会(ゲゼルシャフト)であり、「蓄積の概念の世界」に外なりません。 つまり、 政治や経済のある社会であり、宗教や科学のある社会です。 つまり、 二十世紀までの古い人間社会です。 「メス社会」を中心にして、「宗教と科学を超えた価値観」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度を超えた価値観」と「悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖を超えた価値観」と「差別・不条理・戦争のない社会」を四辺にしたスクエアー(正方形)構造の人間社会こそが、高度共同社会(ゲマインシャフト)であり、「蓄積の理解の世界」に外なりません。 つまり、 政治や経済のない社会であり、宗教や科学のない社会です。 言い換えれば、 政治や経済を超えた社会であり、宗教や科学を超えた社会です。 二十一世紀からの新しい人間社会です。 二十世紀までの古い人間社会の根幹を成していたのが、「蓄積の概念」です。 二十一世紀からの新しい人間社会の根幹を成すのが、「蓄積の理解」です。 ここにも、「観念の世界」→「概念の世界」→「理解の世界」という進化過程があるわけです。 つまり、 「あの世」=「静止画フィルムの世界」=「客観の世界」=「観念の世界」=「実在の世界」=「絶対の世界」=「静止の世界」=「一元論の世界」=「始点の世界」=「誕生の世界」=「宗教のない世界」=「科学のない世界」=「神のない世界」=「政治のない世界」=「経済のない世界」=「歴史のない世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖のない世界」=「差別・不条理・戦争のない世界」=「偶然の世界」=「『今』の世界」=「知性のない世界」=「無(無限)の世界」=「蓄積の観念の世界」 → 「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」 → 「この世とあの世」=「鑑賞席のある映画館の世界」=「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」=「必然・偶然の世界」=「『今、ここ』の世界」=「成熟した知性の世界」=「無(限)・有(有限)を超えた世界」=「蓄積の理解の世界」。 従って、 「蓄積の概念」から脱皮するしか、わたしたち人間社会の未来はありません。 |