第三百八十八話 「蓄積の観念」の実体

「蓄積の観念」、「蓄積の概念」の実体を理解することで、「蓄積の理解」に至ることができる。
それでは、次に「蓄積の観念」を検証してみましょう。
「観念の世界」は、自然社会の世界です。
つまり、
「あの世」=「静止画フィルムの世界」=「客観の世界」=「観念の世界」=「実在の世界」=「絶対の世界」=「静止の世界」=「一元論の世界」=「始点の世界」=「誕生の世界」=「宗教のない世界」=「科学のない世界」=「神のない世界」=「政治のない世界」=「経済のない世界」=「歴史のない世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖のない世界」=「差別・不条理・戦争のない世界」=「偶然の世界」=「『今』の世界」=「知性のない世界」=「無(無限)の世界」=「蓄積の観念の世界」のことです。
従って、
「観念の世界」における蓄積とは、絶対的蓄積(静止的蓄積−変化の一切ない蓄積)です。
言い換えれば、
「蓄積の観念」とは「変化しない(静止する)蓄積」、「絶対的蓄積」、「『今』の蓄積」、「一元論的蓄積」とも言えるわけで、最終的には「貧一元論」に行き着きます。
平たく言えば、
「貧一元論」とは、「貧」に集約されることです。
「貧一元論の世界」=「蓄積の観念の世界」と言えるわけです。
「貧一元論」は、「一元論」の本質からして、貧=「本来蓄積なし」が実在である。
つまり、
「貧一元論」の本質(実体)は、貧=「本来蓄積なし」に外なりません。
従って、
「蓄積の理解」に至るためには、「蓄積の観念」の実体は、貧=「本来蓄積なし」であることを理解することです。
自然社会の生きものは『今』を生きている所以です。