第三百九十五話 新進化論(5)

「未熟な知性」は事実を追求する知性に外ならない。
「成熟した知性」は真実を追求する知性に外ならない。
わたしたちの祖先である人類が四本足歩行から二本足歩行に移行したことによって、無知から未熟ながら知性を得たように、わたしたち人間が未熟な知性から成熟した知性を得るには、従来の生活スタイルを抜本的に変える必要があります。
そのヒントは、
事実を追求する姿勢から真実を追求する姿勢に変える点にあります。
言い換えれば、
事実は時間の経過と共に変化します。
つまり、
未熟な知性は普遍性を持っておらず、常に変化する。
真実は時間を超えて変化しません。
つまり、
成熟した知性は普遍性を持っていて、常に同じです。
これは何を意味しているか。
普遍性を持っておらず常に変化する未熟な知性は、過去・現在・未来というニセモノの時間に想いを馳せる特性を持っています。
普遍性を持っていて常に同じ成熟した知性は、『今、ここ』というホンモノの時間と共にいる特性を持っています。
言い換えれば、
成熟した知性は、『今、ここ』にいないと発揮できません。
未熟な知性は、常に過去・現在・未来に想いを馳せています。
更に言い換えれば、
成熟した知性は、不惑の知性に外なりません。
未熟な知性は、迷いの知性に外なりません。
結局の処、
成熟した知性は、静の知性です。
未熟な知性は、動の知性です。
四本足歩行から二本足歩行に移行することによって、静から動に移行した人類が、今度は動から静に円回帰しなければならないのです。
詰まる処、
過去・現在・未来に想いを馳せる生活スタイルから、『今、ここ』を生きる生活スタイルに変わるのです。
新進化論の核とは、まさにこのことです。