第三百九十八話 スクエアー型社会

わたしたち(どぶねずみ)人間は、
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」で生きていると錯覚してきたのですが、二十一世紀では最早許されません。
つまり、
“生が好くて、死が悪い”といった錯覚は、二十一世紀では最早許されません。
“オスが好くて、メスが悪い” といった錯覚は、二十一世紀では最早許されません。
“善が好くて、悪が悪い” といった錯覚は、二十一世紀では最早許されません。
“強が好くて、弱が悪い” といった錯覚は、二十一世紀では最早許されません。
“賢が好くて、愚が悪い” といった錯覚は、二十一世紀では最早許されません。
“富が好くて、貧が悪い” といった錯覚は、二十一世紀では最早許されません。
“幸福が好くて、不幸が悪い” といった錯覚は、二十一世紀では最早許されません。
“天国が好くて、地獄が悪い” といった錯覚は、二十一世紀では最早許されません。
“神が好くて、悪魔が悪い” といった錯覚は、二十一世紀では最早許されません。
“健康が好くて、病気が悪い” といった錯覚は、二十一世紀では最早許されません。
“支配が好くて、被支配が悪い” といった錯覚は、二十一世紀では最早許されません。
“光が好くて、暗闇が悪い” といった錯覚は、二十一世紀では最早許されません。
人類にとって生き残りの世紀になる二十一世紀では、
わたしたち人間は、従来の生活スタイルを根本的に変えざるを得ません。
わたしたち人間は、従来の価値観(考え方)を根本的に変えざるを得ません。
つまり、
「メス社会」を中心にして、「宗教と科学を超えた価値観」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度を超えた価値観」と「悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖を超えた価値観」と「差別・不条理・戦争のない社会」を四辺にしたスクエアー(正方形)構造の社会です。