第三百九十九話 成熟した知性の新しい社会

二十世紀までの人類の社会は:
「オス社会」を頂点にして、「宗教と科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングル構造の社会でした。
つまり、
「この世」=「動画面の世界」=「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「必然の世界」=「過去・現在・未来の世界」=「未熟な知性の世界」=「有(有限)の世界」=「蓄積の概念の世界」でした。
つまり、
“生が好くて、死が悪い”といった錯覚の社会でした。
“オスが好くて、メスが悪い”といった錯覚の社会でした。
“善が好くて、悪が悪い”といった錯覚の社会でした。
“強が好くて、弱が悪い”といった錯覚の社会でした。
“賢が好くて、愚が悪い”といった錯覚の社会でした。
“富が好くて、貧が悪い”といった錯覚の社会でした。
“幸福が好くて、不幸が悪い”といった錯覚の社会でした。
“天国が好くて、地獄が悪い”といった錯覚の社会でした。
“神が好くて、悪魔が悪い”といった錯覚の社会でした。
“健康が好くて、病気が悪い”といった錯覚の社会でした。
“支配が好くて、被支配が悪い”といった錯覚の社会でした。
“光が好くて、暗闇が悪い”といった錯覚の社会でした。
二十一世紀からの人類の社会は:
「メス社会」を中心にして、「宗教と科学を超えた価値観」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度を超えた価値観」と「悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖を超えた価値観」と「差別・不条理・戦争のない社会」を四辺にしたスクエアー(正方形)構造の社会です。
つまり、
「この世とあの世」=「鑑賞席のある映画館の世界」=「主観・客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」=「必然・偶然の世界」=「『今、ここ』の世界」=「成熟した知性の世界」=「無(限)・有(有限)を超えた世界」=「蓄積の理解の世界」です。
つまり、
“生も死も超えた”理解の社会です。
“オスもメスも超えた”理解の社会です。
“善も悪も超えた”理解の社会です。
“強も弱も超えた”理解の社会です。
“賢も愚も超えた”理解の社会です。
“富も貧も超えた”理解の社会です。
“幸福も不幸も超えた”理解の社会です。
“天国も地獄も超えた”理解の社会です。
“神も悪魔も超えた”理解の社会です。
“健康も病気も超えた”理解の社会です。
“支配も被支配も超えた”理解の社会です。
“光も暗闇も超えた”理解の社会です。
従って、
未熟な知性から成熟した知性への進化、つまり、新進化論こそ、「新しい時代(新代)」における「新しい社会」の核になるものです。