|
第四百三十話 二重の錯覚 二十一世紀に入って、地球環境問題、特に、地球温暖化が急浮上してきたのは、わたしたち人間が二重の錯覚をしてきた、付けが回ってきたからに外なりません。 “人間は考える葦である” 考える能力を持つ人間、つまり、知性を有する生きもの故、二重の錯覚をしてしまったのですから、知性にも功罪両面があることにわたしたち人間は気づかなければなりません。 知性が「宗教と科学」を生んだわけですから、「宗教と科学」にも功罪両面があるのです。 ところが、 宗教者は「宗教」にも功罪両面があるなどと思っているでしょうか。 科学者は「科学」にも功罪両面があるなどと思っているでしょうか。 宗教者は「宗教」を絶対視しています。 だから、「宗教」なのです。 科学者は「科学」を絶対視しています。 だから、「科学」なのです。 その結果、 地球温暖化といった地球環境問題を惹き起こしているのです。 言い換えれば、 「全体感」を「全体観」と錯覚する上に、「部分感」を「部分観」と更に錯覚する二重の錯覚は、知性の罪的側面の産物であることを、「宗教と科学」が理解していないからに外なりません。 功罪両面を有する「宗教と科学」は、所詮、未熟な知性に過ぎないのです。 知性を持たない自然社会の生きものは、「全体感」だけで生きています。 知性を有するわたしたち人間は、「全体感と部分感」で生きています。 「部分感」は知性の功的側面です。 「部分観」は知性の罪的側面です。 「部分観」が「全体観」を引き出した。 「全体観」と「部分観」こそが二重の錯覚の正体です。 |