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第四百七十一話 「考える葦」が諸悪の根源 自然社会の生きものたちは、仕事もしないでただ生きているだけですが、悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖など無縁で生きています。 わたしたち人間は、ただ生きているだけだと何か不安になって仕事をしていますが、悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖に苛まれて生きています。 何故でしょうか。 何もしなければ、悩みも四苦八苦も死の恐怖もない。 何かしていれば、悩みも四苦八苦も死の恐怖もある。 何故でしょうか。 何かするということは、過去・(現在)・未来に想いを馳せていることに外ならないのです。 何もしないということは、『今、ここ』にいることに外ならないのです。 つまり、 悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖の原因は、過去・(現在)・未来に想いを馳せていることに外ならないのです。 つまり、 考えていることに外ならないのです。 逆に言えば、 『今、ここ』にいれば、悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖は消滅します。 つまり、 『今、ここ』にいるということは、何も考えないことに外なりません。 ところが、 わたしたち人間は、考えないと不安でしかたないのです。 わたしたち人間は、過去・(現在)・未来に想いを馳せていないと不安でしかたないのです。 わたしたち人間は、『今、ここ』にいると不安でしかたないのです。 その結果、悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖に陥っている。 これは自己矛盾も甚だしい。 わたしたち人間のこの甚だしい自己矛盾が、悩みや四苦八苦、 挙げ句の果ての、死の恐怖の原因なのです。 『今、ここ』にいれば、悩みや四苦八苦、 挙げ句の果ての、死の恐怖などと一切無縁なのです。 つまり、 過去・(現在)・未来に想いを馳せるから、悩みや四苦八苦、 挙げ句の果ての、死の恐怖が発生するのです。 つまり、 考えるから、悩みや四苦八苦、 挙げ句の果ての、死の恐怖が発生するのです。 従って、 考えなければ、悩みや四苦八苦、 挙げ句の果ての、死の恐怖は発生しません。 従って、 わたしたち人間社会だけが、「オス社会」をつくったのは「考える葦」に原因があったのです。 従って、 わたしたち人間社会だけが、「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」をつくったのは「考える葦」に原因があったのです。 従って、 わたしたち人間社会だけが、「宗教と科学」をつくったのは「考える葦」に原因があったのです。 従って、 わたしたち人間社会だけが、「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖」の人生を送る羽目に陥ったのは「考える葦」に原因があったのです。 従って、 わたしたち人間社会だけが、「差別・不条理・戦争」の社会をつくったのは「考える葦」に原因があったのです。 |