第三章 時の垢

現在、地球が抱えている深刻な問題として、オゾン層の破壊や温暖化があるが、最大の問題は人間の数の増大による物理的及び意識的な問題である。
物理的には100億の人口が生きていくために必要とするエネルギー問題がある。
地球上の有機・無機物の保有するエネルギー保存の法則が通用しないところまでに、人間の数が増大してしまった。その結果エントロピー量が増え過ぎて、エネルギー循環がスムースにいかなくなったのだ。
それ以上に深刻なのは、人間の低レベルの意識が100億もあると、地球意識が悪い影響を受け、地球そのものが、人間の意識レベルまで引き下げられることだ。
そうなると、人間以外のすべての有機・無機物質の意識が消滅しかねない状態に陥る。
物質エネルギーが保存の法則に従って循環しているのと同じで、意識エネルギーも循環している。それが循環しなくなる。
意識エネルギーが循環しないということは、意識が分裂するということで、要するに気が狂うことになる。
地球の意識の気が狂うとは、地軸が移動するということである。地軸は地球の背骨であって、地球全体の物質エネルギーも意識エネルギーも地軸を通って各部に循環している大事なパイプである。
人間の背骨が体の中心からずれることを意味する。そうすると肉体的にも異常をきたすし、精神的にも異常をきたす。
要するに、地球が病気になるわけで、最悪の病気になると地球でも死ぬ。
100億の人間の想念が地球の意識に大きく影響するわけだから、お互い人間同士が憎しみ合うのと、慈しむのとでは地球自体に与える影響は180度違う。考えてみれば、『病は気から』と言うように悪い想念を持ち続けていたら、どんな健康体を持った人間でもいずれ病気になる。やはり『健全な精神に健全な肉体が宿る』は地球の真理でもあるのだ。特に地球の臍である日本という場所の状態如何に地球は大きく左右される。
この10年間に、デビルのお陰で日本の精神状態は改善された。その影響は世界にも大きく及び、冷戦後の民族紛争があちこちでくすぶり、局地戦争にまでなっていた諸国も、大きく変化してきた。
『1922年にアインシュタインが日本で送ったメッセージ【日本は世界の盟主として仰がれるような国にならなければならない。しかも、それはアメリカのように武力と金力に依るのではなく】を今や現実のものにしなければならない。その為には、宇多や白河の背後で糸を引く黒幕を早急に血祭りにあげなければならない』とデビルは思った。
『それが地球の為であり、地球に存在するすべての物体の為であり、人間の為である。まさに奴らは地球の敵である』
国常立は言ったが少し憂鬱な囁きであった。
「その見えざる闇の勢力の黒幕はわたしのよく知っている者かもしれない」と天皇がヨーロッパに発たれる前に言われた言葉をデビルは思い出した。
『白河が吐いた黒幕のまだうしろに、陛下の血縁者がいるかも知れない』
デビルが敢えて胸で囁くと国常立が答えた。
『正直に言おう。その人間は、いや人間たちは国津神の流れをも汲む者たちなのじゃ。わしも実に頭の痛いことだ』
『それは、どんな連中なのですか?』とデビルが訊いたが国常立は答えない。
『あなたが、そのような大事なことを、分身であるわたしに隠しておられて国の建て直しなど出来るはずがないでしょう』とデビルは強く囁いた。
『それを、わしから聞かずに自分でつきとめるのじゃ。わしから聞けば、お前も躊躇うであろうと思うからだ』
国常立の心情を理解したデビルは了解した。
『分かりました。自分がつきとめてみせましょう』
デビルに言われても国常立は返事しなかった。
『よほど、国常立の身内に近い者の流れを汲む者らしい』とデビルも思った。
デビルは白河が吐いた連中を、お仕置きしながら糸を手繰っていくしかないと思っていた。
東京駅からデビルは新幹線に乗って京都に向かった。どうやら敵は京都にいるらしい。
京都や奈良という町は歴史が古いだけに、長年の垢がへばりついている陰の部分が多い。特に京都は1200年も天皇家が住んでいた場所だけに、陰湿などろどろした面がある。それが京都という町の雰囲気にも出ていて、京都人の特異性として表われている。
明治以後、都は東京に移ったが、まだ所詮100年あまりの歴史だ。1200年の京都とは桁が違う。
『どうやら敵の本丸も京都のようだ』とデビルは直感した。
『奴らを抹殺するのは、いとも簡単だ。問題はこちらの気の持ち方にありそうだ。地球の敵であるなら、断固、強い意志で臨まなければならない。たとえその敵が・・・』
ますますデビルは鬼になっていくのだった。
京都駅に着いたデビルはタクシーに乗った。
「お客さん、どこまで行かれますか?」なかなか紳士風の礼儀正しい運転手だ。
過去20年、日本の経済停滞は、大きく国民生活にも影を落としていた。
昔は、タクシーの運転手と言えば、駕籠屋から想像する雲助が多かった。大阪では神風運転手なる言葉まで流行ったほど質の悪い連中の職業だった。
しかし、大阪経済の停滞は多くの失業者を生み、大企業のサラリーマン紳士諸君までがリストラの煽りを喰ってタクシーの運転手になっている。
『多分、この運転手も元は大企業のサラリーマンだったのだろう』とデビルは思った。
何ごとも、すべて良いこともないし、悪いこともない。
「運転手さん、伏見の桃山御陵まで行ってください」
デビルも自然に丁寧な言葉使いになった。
「京都は、運転マナーが悪いドライバーが多いと聞いたが、運転手さんは違いますね?」とデビルが訊いた。
「嘗て、憲法が変わり、又法律が変わる度に、権益とかいう訳の分からないもので、ぶくぶく太ってきた連中が京都には多いんです。とにかく歴史の古い町だけに、吹き溜まりの垢がへばりついていて、世界から憧れる古都とは裏腹に矛盾だらけの町で、それが運転マナーにも顕れていたんです。
ところが、既得権益など吹き飛ばした今度の憲法が、京都の町を良心のある町に変貌させてくれました」
何となく運転手の言っていることがデビルには理解できた。
京都の町は碁盤目のように道路が張り巡らされていて、東西に北から一条から十条まである。
そして南北には東から東大路、河原町、烏丸、堀川、大宮、西大路とある。
歴代天皇の名が採られているが、その天皇の名がその後、藤原一族の姓になっている。近衛、一条、二条・・・という具合に。
京都の町は天皇家と藤原家の共有物のようだ。
それほどまでに藤原一族の権力は天皇家に拮抗、或いは上回っていたと言える。
「お客さん、桃山御陵に何か用事でもあるんですか?」
と訊く運転手に、「いや、別に。ちょっと明治天皇の御陵を見たくなっただけのことです」デビルは答えた。
「珍しいですね、そんな人は」と言う運転手に、「どうしてですか?」と訊いた。
「桃山御陵には、京都の人間は行きません」
「どういう理由(わけ)ですか?」
「そんなこと話したら、命がいくつあっても足りません。ここではタブーです」
桃山御陵の手前でタクシーを降りたデビルは、運転手から言われた。
「お客さん。くれぐれも気をつけてくださいよ」
御陵の正面に立ったデビルは、「本当の悪魔よ、出てきなよ」と呟いた。
御陵の管理事務所の裏から、数十人の連中が現れて、デビルを囲むように整列した。手にはライフルを持ち、全身ロボットのような重装備をしている。
『遂に姿を現したな』
デビルが鬼神になった時にニタッとする笑いをした途端、連中はライフルをデビルに向けた。
「ずいぶん、俺のことを研究したようだな」
デビルが言ったが、彼らは無言のままだ。
デビルは観自在力で彼らの心底を観た。
『まさにロボットのように訓練された殺人マシーンになっている』と解った瞬間、デビルは猛烈なスピードで、彼らに囲まれた輪の中をぐるぐる走り回った。まるで犬が自分の尻尾をものすごいスピードで追いかける、あの光景だ。
すると、デビルの姿が何人にも映った。
目眩ましの術だ。高野山の木々の間を毎日走り抜ける鍛錬をして、猛獣と格闘して体得した技だ。
猛獣は本能で動く。そこに心の動きなどない。
いずれ多勢の軍隊と対峙する時が来ることを想定しての鍛錬だった。
軍隊は訓練された殺人ロボットのようなものだから、心が動かない。猛獣の本能的反射神経で動くコンピュータ殺人マシーンだ。
コンピュータはプログラム通りしか動かない。
自分の映像をインプットされているに違いないと察知したからデビルは目眩ましの術を使ったのだ。
急に彼らは目標を失い、ばらばらになって、うろうろしている。目標がセットされないとライフルの引き金を引けないのだ。
その隙をねらって、デビルは胸の中から伸縮自在の棒を抜き出した。先には鋭いダイヤモンドの刃が光っていた。
デビルは猛烈に回る中で、3メートルもの長い棒先のダイヤモンドの刃を、地面から10センチほどの高さで、彼らの足首に走らせていった。
ほんの10秒程度が過ぎた。
数十人の連中が一気にドサッと倒れた。
全員、足首を刎ねられ、悶え苦しんでいる。
彼らも人間だから、体に異変が起きると普通の人間になる。
「おい、そこに隠れて見ているお方。出て来なよ。出て来ないならこちらから引きずり出しにいくぜ」
ライオンの雄叫びのような迫力ある声で言われて、真っ青な顔をした男が出て来た。
「よう、あんたテレビでよく出ているじゃないか。なんかえらい力を持っていると聞いたことがあるが、こんなことが出来るのか。大したもんだ。それで、これからどうするんだ?」
冷たい表情でデビルに凄まれて、唇がわなわな震えている。
「テレビでは、威風堂々としゃべっているじゃないか。あんたには強いバックがあると聞いていたが、それがこの兵隊かい?」と言っても、ただ震えているだけだ。
「何か言ったらどうなんだ。ええ?」
静かな口調で、口をその男の顔にすりつけるようにして言った。
「いえ、そんな!」これだけの言葉を出すのが精一杯のようだった。
猛獣が獲物に飛びかかるとき、最初に噛みつくのが喉元だ。
「ぎゃー」と叫び声がしたら、その男の喉仏の骨がデビルの口の中にあった。
「何も喋れないだろうから、合い槌だけしろ。分かったか!」
怒鳴るデビルに、朦朧としながら、その男は頷いた。
「お前はずいぶん力があるそうだが、その理由(わけ)は何だ。大きな組織をバックにしていると聞いたが、その組織は何だ。天皇家と関係があるのか?」
その男は頷いた。
「今上天皇と直接関係あるのか?」
今度は顔を横に振った。
「お前は京都の人間か?」
「藤原一族に関わりのある天皇家の人間か?」
頷いた。
「お前も、その流れを汲む者か?」
横に振った。
「それでは、お前は藤原一族とどんな関係だ?補完関係にあるのだろう?丹後や出雲と」
驚いた顔で頷いた。
デビルはニタッと笑った。その男の顔が一瞬変わった。
デビルの口には、その男の胴体から離れた首が咥えられていた。
翌日の新聞の見だしには、「京都の大物、首を噛みちぎられる。調子に乗るのもいい加減にしろ!とデビルがメッセージ」と書かれてあった。
『陛下は、母方の血を提供してきた藤原一族のことを言っておられたのだ』
デビルは、まだお仕置きが残っていると、身を引き締めた。
天皇家は言ってみれば、蘇我一族や藤原一族に利用されては、ポイと捨てられてきた気の毒な歴史の連続だ。聖徳太子やその一族の歴史は実に悲しい。
初めて武家社会をつくった源氏は国津神の流れだ。平氏もそうだ。織田信長もそうだ。結局みんな、最後は滅ぼされている。
天津神と国津神の相克の中で、利用する連中が結局うまい汁を吸ってきたのだ。
『マイヤー氏が言っていた、祭司イザヤの血を葬るまで、日本は変われないな』デビルはそう思うと、急にマイヤーに会いたくなった。
気持ちが通じたのかマイヤーから電話が掛かってきた。
「今、京都におられるのですか?」といつもの静かな口調でマイヤーは訊ねた。
「ええ、そうです」
「久しぶりのお仕置きはどうだったですか?」
「今度は何か、後味が悪いんです」と告白するデビルだった。
「そりゃ、そうでしょうね。今までのようなお仕置きの相手と違って、この国が長い歴史の中で蓄積した垢みたいな者が相手ですからね」
マイヤーはすべて察しているようだった。
「我々民族の何千年もの迫害の歴史と同じで根が深いものは、暗いですからね。後味も悪くなります。変な話ですが、ホロコーストを犯したヒットラーも多分後味は悪かったと思いますね。人間の一番奥深いところにあるどろどろした部分が湧き上がってきたようなものですから」
アメリカのような歴史の浅い国でも黒人奴隷問題がアメリカ人一人一人の心の底に暗い陰を落としている。
ましてや、歴史の古い日本では、やるせないような気になる。
「デビルさま。あなたは国常立さまからの使命を果たせばいいのです。あまり深くお考えにならないように。人間ひとりで、短い期間ではどうしようもないことです」
デビルはマイヤーの言葉で救われたような気分になった。