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第六章 キリスト教の聖地・京都 日本の特殊性を教えられたデビルは、その夜マイヤーと京都に泊まった。 そして祇園の町に二人で行ってみることにした。 「祇園の先斗町は、まさにイェルサレムのピアドロローサそっくりです。ピアドロローサはイェルサレムの旧市街にあり、イスラム教徒とキリスト教徒の住む地区を横断している路地です。旧市街にはソロモン神殿跡の、例のわたしとデビル様が交信した嘆きの壁のあるユダヤ教徒地区、そしてキリスト教に近いアルメニア教徒地区の4つの地域に分かれています。今こうやって先斗町の路地を歩いているとイェルサレムにいるような錯覚に陥ります」 ふたりは先斗町から四条通りに出る直前で、異様な光景に出喰わした。 四条通りの出口のところに交番所がある。その中で警官が、ややこしい風体の男たち3人に頭を下げているのだ。 「あの3人の連中は何者なんでしょうか?警察官が頭を下げているなんて、しかも交番所の中で」 不思議がるマイヤーにデビルも答えることが出来なかった。 ややこしい連中はお仕置きによって一掃したし、今の警官はまるでガードマンか夜間警備員程度の仕事しかなかった。 デビルは読唇術も出来る。彼らの会話を唇の動きで読んでみた。 「はい、分かっております。申し訳ございません」 「ええか?お前らはなんでも、わしらの親分の言うこと聞かなあかんことになってるやろ?」 「はい、それは」 「そんなら、ちゃんとシマ代を店から集めてこんかい!」別の男が怒鳴っている。 「わしらの親分の恐ろしさは分かってるやろ?」 言われた警官は頭を何度も下げて謝っていた。 そして彼らは交番所を出た。 彼らの会話を、デビルが読唇術で喋ったのを聞いていたマイヤーが訊いてきた。 「親分とは一体何者なんでしょう?」 「尾行してみましょう」 デビルは、四条通りを東へ向かい、四条の橋を渡り八坂神社の方へ歩いて行く3人を付けて行った。 八坂神社の所で突き当たってしまう四条通りから斜め左に折れて丸山公園の中に入って行った。 そして、左側に何気なく並ぶひっそりとした長屋の店のひとつに、彼らは入った。 何か訳の分からない看板があった。 「何を商いにしている店なんでしょうか?」 とマイヤーは訊ねる。 デビルは超聴力を使って家の外から、家の中の会話を聞き取った。 「親分、警官の奴らを一発かましてやりましたら、びびり倒してました」 「そうか、わしの名前は出してへんやろな?」 「へい、そらもちろん」 「あのデビルちゅう野郎がわしらの世界をぶち壊してしまいよった。わしは運よう逃げ延びれたけど、表に出たらすぐにやられるからなあ。警官の奴らも逃げ延びれたのが、今はわしの手下になっとる。あいつらをうまく使って祇園の店の奴らから前とおなじようにシマ代をとらな食っていけんからな」 ダニ掃除をしても一掃するのは不可能だ。そして生き延びたダニがまた繁殖してくる、まるで鼬ごっこだ。 「行きましょう」 デビルはマイヤーに言ってその店から去って行った。 ホテルに帰るタクシーの中でも二人は黙っていた。 ホテルに着いて、ロビーのサロンでコーヒーを注文した後、やっとマイヤーの口が開いた。 「病気の治療法を発見したら、また新しい病気が生まれてくる。そしてその病気の治療法を研究して発見すると、またまた新しい病気が生まれる。本当に鼬ごっこですね。神さまはいつまでこんなことを繰り返させるつもりでしょう。やはりデビル様、カアンのお仕置きを、すぐにやった方がいいかも知れませんね」 「何故、こんな鼬ごっこになるのか、原因を探ってみたいと思います。協力してくれますか?」とマイヤーに確かめてみた。 「もちろん、ご協力いたします。今ちょっと閃いたのですが、この国の特殊性の原因とひょっとしたら同じところにあるかもしれません」 「だけど、こういった鼬ごっこは、この国だけの特徴ではなくて、どこの国にもあることではないのですか?」と言うデビルにマイヤーははっきりと答えた。 「鼬ごっこはどこにでもあります。しかしこの国は、鼬ごっこではなくて、『イタチの無き間の鼠.』ですね」とマイヤーがまた博識を披露した。 「何ですか、その『イタチの無き間の鼠.』というのは?」デビルは首をかしげた。 「日本人という国民性は鼠とか溝鼠で喩えられるようで、ここで言う鼠も同じ質のものでしょう。デビル様が最近目立った活動をしていないものだから、デビルという鼬がいない間にまた溝鼠が悪さをしようとしているのです」 「それじゃ、わたしは鼬ですか。鼬の最後屁というのもありますよ。ひとつ思い切り臭い最後屁をかましてやりますか」 デビルは、久しぶりに例のニタッという笑いをした。 交番所に戻ると、さっきの警官が座って呆然としていた。 デビルはマイヤーを四条大橋のところに待たせておいて、交番所に入って行った。 [何か用事ですか?] 警官が訊ねた。 「デビルが来たと、親分に連絡せんかい!」 本物のデビルが凄みのある声で言うと、もの凄い殺気を感じたらしく、すぐに電話をした。 「もしもし。わたしですが、あのう、本物のデビルさんがここに来ておられるのですが」 電話の向こうで喚いている声がする。 「デビルさんが、こちらに来るようにと言っておられますが」 ますます、喚き声が大きくなっている。 デビルは警官の目をめがけて小さなスプレーを発射した。 「ギャー」と大きな叫び声がして、警官は床に倒れて気を失った。 「おい!親分さん、はよう来んと、もっときついお仕置きが待ってるで。逃げようと思っても無理や。もうお前のいる場所は分かってるんや。逃げれば逃げるほど、お前の体がバラバラになっていくんやで。はようおいでーや」 10分もしない内に車で親分とさっきの3人がやって来た。 気を失っていた警官も目が覚めたようで、震えながら椅子に座っていた。 「どうも、この京都という町は変な町やなあ。永い間、都やったため、固まった垢が一杯溜まっているんやろな。俺が、この京都という町を好きになれんかった訳が分かった。 これだけ、お仕置きしても、完全に取れんぐらい、臭い垢が溜まっとるんや。そやから、お前らみたいな、溝鼠がまだ棲息しとるんや。今日はお前らに見合ったお仕置きをしたる。命だけは助けてやるが、その代わり俺の言うこと聞くんやで」と言って、また4人に別のスプレーをかけた。 「ギャー」と4人が叫んだ直後、どうなったのか分からない様子で、豆鉄砲を撃たれた鳩のような顔をしている。 嗅覚を完全に潰されたのだ。 人間の五感の一つでも機能が停止すると、脳のバランスが崩れ、顔の表情が変わる。 催眠をかけてデビルは交番所を出た。 「もう、終わったのですか?」 マイヤーが訊くと、デビルは頷いて、そしてタクシーに乗った。 交番所の4人は、嗅覚を完全に潰されて、立っていることも出来ずに床にすわったまま、意識朦朧としていた。 デビルの強烈な「鼬の最後屁」だった。 翌日、二人は京都御所と二条城を訪れた。江戸時代までは、まさに権威と権力の象徴だった所だ。 御所は奈良の平城京から794年、たった10年間の長岡京を経て、山背(後に山城)の地に平安京として遷都された都の中心である。 遷都を決断したのは第50代桓武天皇だが、理由は祟りを恐れての遷都であったらしい。 平城京とは天武王朝を意味するが、この天武王朝の最後の天皇となる女帝称徳が有名な道鏡事件を起こしたのをきっかけに、天智系の光仁天皇に変わった。皇太子でもなかった山部皇子(やまべのみこ)だった、後の桓武天皇が謀略の限りを尽くし、裏でいろいろな事件を画策した結果、天皇の座を得た。 怨霊の祟りを恐れた桓武天皇が、風水学を駆使する陰陽師を使って、祟りを封じ込めるために、最初長岡京を建設したのだが、祟りの嵐が治まらない。ノイローゼ状態になった桓武天皇は、道鏡事件で九州の宇佐八幡宮まで伺いを立てに行ったことで有名な和気清麻呂に相談して、再び遷都を提案され、山背の地に平安京を建設したのである。 その中心がまさに天皇の大内裏がある御所であり、風水学上、一番重要な地点であったらしい。 これらの遷都計画に関わった一族は言うまでもなく藤原一族である。日本史を語る上で藤原一族抜きでは不可能なほど、この一族は日本史の黒幕である。天皇家の系図は裏を返せば藤原家の系図でもある。 「日本という国は、是々非々は別として平安時代までは権力と権威が一枚岩になった当たり前の国でした。ところが源頼朝によって鎌倉武家政治が始まってから権力と権威が分離した、おかしな国になってしまいました」 マイヤーの話にデビルは疑問に思った。 「しかし、平安時代にも、天皇家は権力を藤原一族に握られていたのではないのですか?」デビルはマイヤーに訊ねてみた。 「今も言いましたように、是々非々は別として天皇家は裏を返せば藤原家なのですから、藤原家が権力と権威を維持していたということになるのです」 マイヤーが毅然とした態度で答えた。 「そうすると、武家社会の勃興が、日本という国の特殊性を作ったと言われるのでしょうか」 マイヤーの薫陶を受けたデビルは、日本史のみならず世界史から宗教の世界まで博識になっている自分に恥じらいを感じながらも興味が大きく膨らむのであった。 「その通りです。日本が第二次世界大戦で原爆を落とされ、ユダヤ人がホロコーストに遭ったのも、すべて権力と権威が分離された特殊な国だったからです。その原因の核となっていたのが藤原一族であったのです。戦後、日本における藤原一族の長い糸は一旦切られたのです。その結果、権威の基礎まで天皇家から崩れていったのです。今の日本で天皇家を本当に誇りと思っている人たちは非常に少ないと思いますよ。そういう風潮になったのは戦後教育が原因でしょう。その最大の理由は藤原一族の没落にあると思います。デビル様がお仕置きされた白河は藤原一族の血を受けていましたが、まったく気概といったものがなかった。清水総理も、その点のことが分かっていたのだと思います」 権力と権威が分離した国はどうなるか、今の日本が物語っているようにデビルは思った。 二条城に着いた時、「この城は誰が建立したか、ご存知ですか?」とマイヤーに訊かれたデビルは答えた。 「徳川幕府でしょう?」 「いや、違います。織田信長です。彼は、国家のあるべき姿を良く分かっていたんですね。応仁の乱を起こして長い戦国時代を招いたのも、室町幕府と朝廷という権力と権威の分離が為せる業です。しかも権力を持つ側に内紛が起きたら、もうどうしようもない混乱状態を招くのは必定でしょう。さっきの鼬の最後屁ではないですが、まさに鼬ごっこになってしまいます。天皇つまり藤原一族が権力と権威を持つ時代から、権力は武家に権威は天皇家に移った。そして今度は武家社会の中で、権力を持つ将軍が権威だけに、そして執権が権力を持つようになったのが鎌倉北条執権政治の時代です。更に北条執権政治を倒した足利一族が、今度は将軍になったけれど、また権威だけになり、管領が権力を持った結果、応仁の乱という下克上の戦国時代になってしまった。 織田信長は、この権力と権威の分離が社会を混乱に陥れることを見抜いていたのです。だから二条城を京都に築いたのです。それまで、京都は天皇のおられる都ですから、武家の象徴である城を築くなんてことは、あの足利義満でさえ思いつかなかった。足利義満は天皇の御所に対抗して花の御所を同じ京都に造り、内裏が金閣寺なのです。しかし、織田信長は大胆不敵にも武家の象徴である城を京都に造った、それがこの二条城です。明智光秀に裏切られ、大望半ばで死んでしまいましたから、本意は分かりません。わたしは、彼は、天皇家というより、藤原一族の権威を根こそぎにし、権力と権威の一体化をしようと考え、二条城を築いたのだと思います。10年前までの日本がまさに、権威だけの政治家と権力の官僚との分離になっていたのを、デビル様が破壊された。あなたは、現代の織田信長です」 「まだまだ、明智光秀に殺される訳にはいきませんね」 デビルはニタッと笑った。 二条城のある堀川通りを、タクシーで北上した二人は鴨川沿いにある上賀茂神社と下鴨神社に向かった。 「先ほどから気になっていたのですが、京都の町は神社・仏閣が多いので有名ですが、やたらキリスト教会も多いですね。それに、あちこちで『ノアのアーク』という看板のある建物が目につくんですが」 デビルがマイヤーに言った。 「今回、京都に一緒に来て頂いた、もう一つの目的が、実は今おっしゃったことに関係があるのです」 「それは、どういうことですか?」 マイヤーはデビルに話し始めた。 「京都というと日本の古都として、日本人の象徴の町のように思われています。それがこの町の表の部分なら、隠された裏の部分があるのです。日本の中で京都ほど昔から国際的な町はありません。中国の長安とよく似ています。シルクロードを通って長安の町にはヨーロッパの国々の人たちが集まって来ました。京都は唐の都だった長安を模倣して造った町ですが、唐が没落していくのが9世紀後半で、平安京である京都が奈良から遷都されるのが、やはり9世紀後半です。その時に長安にいた多くのヨーロッパ諸国の人間が京都に移って来たのです。当時、ヨーロッパはコンスタンチノープルを首都とする東ローマ帝国の時代で、キリスト教信者がたくさん長安にいました。彼等が大挙京都に移り住んでいたのです」 「それでは、1549年に初めてキリスト教が日本に伝来したというのは、嘘なんですか?」 デビルは、訳がわからなくなった。 「嘘とは言いませんが、それ以前からいろいろなキリスト教徒が日本に来ていたのは間違いないと思います。ただイエズス会という宗派のキリスト教がザビエルによって1549年に入って来たのが史実と言われているだけのことです。仏教よりも、本来のモーゼの律法を正確に教えようとしたイエスの精神を守った原始キリスト教徒たちのことですが、彼らは何世紀も前の、まだ大和朝廷の時代に、鴨川、桂川などでしょっちゅう洪水を起こす湿地帯であった京都の地に住みついていたのです。そういう点から考えれば、彼らの方が先住民であったとも言えます」 現代の京都に住みついて何百年の伝統を誇りと自慢している京都人たちは、地方から都の京都にやって来た人たちで占められている。特に多いのが、近江出身者だ。京都の着物産業のほとんどは近江商人出身者である。 現在の首都である東京も、純粋な江戸っ子は非常に少なく、ほとんどが地方からの移入者であるのと同じことが、京都にも起こっていたのである。 江戸っ子に対し、京っ子という先住民は、平安京に遷都する以前から住んでいた人たちのことを指す。 「京っ子のルーツは明らかに秦一族だと言えるでしょうね。第15代応神天皇の時代に、既に当時の山背(やましろ)の国に住んでいました。その頃、日本の中心は大和でした。そしてそれは大化の改新まで続き、その後、天智天皇が百済を応援しようとした白村江の戦いで負けた結果、新羅の日本への侵略を怖れ大津に遷都するまで続きます。 大津の近江商人が誕生するきっかけはここから始まります。この近江商人が、京が都になると、大挙移入してくる訳です。今、パレスチナでのイスラエル人とパレスナ人との争いによく似た現象です。イェルサレムが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの聖地となっているのと同じで、京都は仏教、キリスト教の聖地になっているのです」 日本の国がどのようにして誕生し、統一国家となっていったのか、その真相を知る上で重要な要因になると、マイヤーの話を聞いていてデビルは思うのだった。 |