第九章 25年ぶりの京屋

『ドアンカアンゴルジュデビル』
新しいメッセージがデビルにやって来た。
『ドアン、カアン、は今までに聞いたことがあるがゴルジュデビルが分からない。デビルは自分のことを指しているのだろうか』と考え込んでいる四郎に、女将さんが背中を叩いた。
はっと気を取り戻した四郎は、女将さんの顔を見て作り笑いをした。
「四郎ちゃん。何か悩んでいるの?様子がおかしいわよ」と女の勘で言われた。
「いいえ、別に」と言ったが、もう完全に見透かされている。
「まあ、いいけど。別に用事がなければ、今日は家で泊まったら?京子も喜ぶわよ」
四郎も誘われて悪い気はしなかったから、泊めてもらうことにした。
25年ぶり、高校生以来の、高野山の精進料理と風呂を味わえると思うと胸がわくわくするのだった。
旅館に帰ると、京子が飛んで出て来た。
「四郎ちゃん。四郎ちゃんね!」と目を輝かせて言う京子を見て、四郎の胸が騒いだ。
「京子ちゃん?大きくなったね」と言う四郎だったが、あの頃の京子の面影などまったくない別人だった。
あの頃の京子は、短いスカートをはいた本当の子供だったが、今は着物を着た女将さんだ。
「四郎ちゃん。どうしていたの?」京子に聞かれて、「平凡なサラリーマンだよ」と同じ返事をしたら、急に京子の表情が曇った。
横から、女将さんが京子の気持ちを察して、四郎に言った。
「四郎ちゃん。子供は何人いるの?」
女将さんの言葉で、はっと気がついた四郎は、手を横に振って笑った。
「まだ、独りですよ!」
考えてみれば、四郎も四〇才を過ぎていたから、家庭を持っているのが当たり前だ。
「一度も家庭を持ったことがないの?」と女将さんが目を輝かせて訊いてきた。
「そうですよ。一度もないですよ」
「お母さん、食事とお風呂の用意をしてくるわね!」
急に明るい声で京子は奥に走っていった。
「懐かしいなあ。この味、思いだします。高校生の夏にお世話になった時のことを」
「わたし、四郎ちゃんの下着をいつもお婆さんに言われて、アパートに持っていったわね。だけど四郎ちゃんは、別に恥ずかしがらなかったわ。わたしが子供だったから」
あの時のことが、どんどん思い浮かんで来て、四郎は自分の置かれている立場を完全に忘れてしまっていた。
初めて泊まる京屋の客間で、布団に入って四郎はやっと、普段の自分に戻った。
『ゴルジュデビルってどういう意味だろう?』
天井を見ながら考えていると意識が薄れていった。
「どうしたの、四郎ちゃん!」という声で目が醒めた四郎の目の前に京子がいた。
京子の声で四郎は目を醒ました。
「なんか悪い夢でも見たの?すごく魘されていたわよ」
京子の部屋は離れにあって客間からは距離があったが、四郎との25年ぶりの再会で興奮して寝つきが悪かったのだ。
「何か言ってなかったかなあ?」と汗を拭きながら四郎は京子に訊いてみた。
「あまり大きな声で魘されていたので、部屋の前に来て障子を開けようか、どうしようかと迷っていたら、ゴルジュとか言ってたわよ。どう意味?」
やはり、ゴルジュという言葉が出ていたのだ。
四郎は別に悪い夢を見ていたわけではなくて、半分眠り、半分目覚めている状態にいたのだ。その中で『ゴルジュ・ゴルジュ・ゴルジュ』と叫ぶ声が聞こえていた。
「わたし、ゴルジュという言葉に憶えがあるわ」
唐突に京子が言った顔を見つめながら、唖然としている四郎に京子は話し続けた。
「金剛峰寺で真言密教のお経を唱えていた中にゴルジュという言葉があったような気がするの。確かイエスキリストのことだったと思うけど。大師様は真言宗の開祖だけど、実は真言密教は、仏教というより、原始キリスト教である景教の教えを日本人風にしたかった大師さまの隠れ蓑だと聞いたことがあるの。その中で悟流樹と漢字で書かれてゴルジュと読むはずだったわ。イエスが十字架に架けられ、神に召された時、十字架に流れているイエスの血痕が後世に残され、その血痕に触れるとイエスと共に復活できると言われた伝説から悟流樹(ゴルジュ)と言われ、大師様が作られた真言の重要な言葉だと思ったけど。確かベルギーのブルージュという町に聖血礼拝堂というのがあって、今でもイエスの十字架から流れ落ちた血痕が保存されていると聞いたけど」
マイヤーもデビルのことを現代のイエスキリストだと言っていたことを四郎は思い出した。
『【ゴルジュデビル】とは、デビルはイエスキリストだという意味か。それじゃ、【ドアンカアンゴルジュデビル】はどういう意味だ』
四郎は横に京子がいることも忘れて必死に考えた。
『イエスキリストであるデビルはドアン・カアン等の連中によって、また十字架に架けられる』と言うのか、それとも、『デビルというイエスキリストはキリストの名の通り、救世主であり、今度はドアン・カアン等を逆に十字架に架けよ』と言っているのか、四郎は、京子に言った。
「京子ちゃん。悪いけど電話を掛けたいんだけど」
「電話なら、床の間にあるわよ。わたしは部屋を出てるから」と言って、立ち上がった京子の手を掴んで四郎は言った。
「いや、京子ちゃんもここにいて、話を聞いていて欲しい」
「いいの?わたしなんか何の役にも立たないのに」と言いながら、嬉しそうな顔をした。
四郎は横浜のマイヤーの家に電話をした。夜中の2時半だったが、マイヤーは起きていた。
「デビル様。今どこにおられるのですか?」
「高野山の昔、お世話になった旅館にいます。ゴルジュデビルのことで少し分かったことがあったので、意見を訊きたいと思って電話しました・・・」と言って、事の詳細を話した。
「・・・・・・・」マイヤーは何も言わずに聞いていた。
「もしもし、聞いておられるのですか?」とデビルが言うと、
「聞いていますよ。聞いていますとも。驚きましたね、その話は。京都太秦の秦一族が弘法大師の強力なパトロンだと言うことは知っていました。現に広隆寺には弘法大師直筆の般若心経が残されていますし、四国の洪水を防ぐ治水工事を大師はやり遂げていますが、そこには秦一族の強力な応援があったと聞いています。だが、弘法大師の真言密教が景教と繋がっているとは、驚きました」
「こちらに来られませんか?」とデビルが言うと、少し間を置いてから、
「わかりました。明日、そちらに行きましょう」
横で聞いていた京子は何がなんだか分からなかったが、四郎が当分逗留することを知って喜んだ。
翌日マイヤーは飛行機で大阪に着き、そこから車で高野山に向かった。
賢治が運転をして同行していた。
「デビル様は、元気でおられますか?」
と訊く賢治に、「そう言えば、あなたが、お国のために要職に就かれて、もう1年以上経ちますね?」
「2009年ですから、もう1年以上経ちました」
賢治も30近い歳になった。
暴走族のリーダーとして神戸界隈を暴れまくっていた頃が嘘のようだ。
「ちょうど10年前に神戸の平蔵鮨で初めて、あの方と出会ったのです。ロシアンルーレットをやろうと言われた時は、正直言ってびびりました。まだ20才前で、あの方もたしか30才そこそこだったと思います」
「ほう、そんなことがあったのですか?それで結果は?」
「わたしが負けました。本当だったら、今ごろ生きておれない身です」
賢治の話を聞いているうちに、高野山の大門に着いた。
大門の横から回って、高野の町の本通に出ると、すぐに京屋という看板が見えてきた。
「ここですね」と賢治が言って駐車場を探そうとしていると、デビルが表へ出てきた。
「デビル様だ。また一段と変わられましたね」
賢治がマイヤーに言った。
「あの方は、現代のイエスキリストです」と言うマイヤーに驚いた賢治は思わず訊ねた。
「現代のイエスキリスト?どういう意味ですか。十字架に架けられるのですか?」
真剣な表情で訊く賢治にマイヤーは答えた。
「わたしは、現代のイエスキリストだと言ったのです。2000年前のイエスキリストは教会の両替屋によって十字架に架けられましたが、現代のイエスキリストは逆に現代の両替屋を十字架に架けるのです」
マイヤーの話を理解できなかったが、現代の両替屋とは、銀行のことを指していることぐらいは解った賢治の心に興味が沸々と湧いてきた。
とにかく、銀行というのは、まさに高利貸しそのものだ。
この世の中から、銀行というものを無くするだけでも、人々が不幸になるのを防ぐことが出来るぐらい、悪辣な職業だ。
「地球委員会の委員長さんも来られたんですか?」
笑いながら車の窓越しに言ったデビルの顔を見て、「少年っぽい、笑い顔は変わっていませんね」と賢治が言った。
「もう40を過ぎた人間を捕まえて少年っぽい顔とは、何を言ってるんだ」笑いながら喋るデビルを、まじまじと賢治は見た。
『40才を過ぎた人の容貌とは、とうてい思えない。10年前とまったく変わっていない。いや、先程思ったように、ますます精悍さを増しておられる。信じられない』
驚いた顔つきをしていると、横からマイヤーが言った。
「人間は、本来5,000才まで生きることが出来るようになっています。そのためには、生かせてくれている地球や太陽の意識と同通していなければなりません。デビル様は、遂に地球意識と交信されるようになられたんです。だから10年や20年の経過なんて地球意識からしたら、ほんの1ヶ月ぐらいのものです。デビル様は、これからますます伸び盛りの時期に入られます」
マイヤーの言う通りで、デビルの容貌は、眩しいほど輝いているように、久しぶりに会った賢治には思えた。