Chapter 1 時間の誕生

時間という概念は、一体いつごろ誕生したのでしょう。
古代遺跡には、必ずと言っていいほど時計の原型らしきものが発見されます。
太陽や星座の位置で時刻を決めていたようです。
まだ言語すら生まれていない人類文明においても時間の概念だけは、既にあったようです。
地球が誕生したのは、今から46億年前だと言われており、生命が誕生したのが36億年前で、まず海中で単細胞生物、多細胞生物、海洋生物と進化していき、陸に上がることを知った両生類、爬虫類、哺乳類を経て人間に至っています。
その中で、人間のルーツである人類の誕生は数百万年前で、恐竜時代の終焉と共に登場したのです。
人類が登場した時点で既に彼等は時間の概念を持っていました。
太陽が昇ると朝であり、沈むと夜になるという繰り返しがあることを知っていたのです。
繰り返すことが実は時間の原点であったのです。
繰り返し運動には、二つの方式があります。
ひとつは、線型的(Linear)往復運動。
もうひとつは、円的(Circle)運動。
しかし、究極的には、線型的往復運動も円的運動の変化したものです。
繰り返すとは、円運動することに他ならないのですが、そうなりますと宇宙生成の時点で時間というものがあったということになるわけです。
宇宙は、ビッグバンによって今から150億年前に誕生したと言われていますが、その時から放射線状に宇宙は膨張していったのですが、何故放射線状に膨張したのでしょうか。
これこそ円を形成していき、そこに繰り返しの運動が起きた。
実はその時点で、時間が誕生したのです。
繰り返すということは、間隔があるということです。
間隔があると、そこに長い、短いという区別が起き、それらを等間隔に刻むことによって、長い、短いの判断が出来るようになった。
始まりがあってまた元に戻る終わりがある、ひとつの繰り返し運動が起こった結果、時を刻む必要性が生まれたのが時間の誕生なのです。
そういたしますと、時間というものは人間だけにある概念ではなく、宇宙そのものにある概念であることが分かってきます。
無から有が生じた結果、宇宙が誕生したとするならば、有すなわち形あるものが創造された時に時間がスタートしたのです。
無限の世界には時間はありません。
有限の世界にしか時間はありません。
聖書の中に、「はじめに言葉ありき」と書かれて、天地創造は最初に言葉すなわち光があった。と表現されていますが、「はじめに、時ありき」とした方がより的確ではなかったかと、いまわたしは思っています。
光も時間無くして存在し得ないものです。何故なら光の速度も一定の間隔で時間を刻まれているからです。
光の速度が一定であるのが、その証だと言えます。
アインシュタインは、光が宇宙の中で最も速いもので、光以上の速いものは存在しないと特殊相対性理論で発表しました。
しかし10年後に、一般相対性理論で、その光さえ曲げることの出来る巨大な力が存在する可能性があると発表した上で、それは神の範疇で、人間には踏み込むことの出来ない世界であると結論づけました。
人間にとって、知り得る世界、理解出来る世界の果ては時間の存在する世界、そこまでだと考えられます。
その向こうに何があるかを問うのは無意味であります。
それならば、問うことの出来る究極は時間だと言っていいのではないでしょうか。
わたしが、時間こそが人間にとっての究極の神である、と結論づけた根拠はそこにあるのです。