Chapter 11  時が解決する

経験を積めば積む程、人間はその巾が広くなると言われます。
すべての現象には、必ず良い面と悪い面が表裏一体になっているのが、この世界の原理原則であります。いわゆる二元論の世界です。
その巾が広くなると言うのは、良い面を表わしているのであって、悪い観点からしますと、知り過ぎた不幸といいますか、良い面だけを見ることが出来ず、必ず悪い面をも見てしまう習い性が自然に身に付いてしまう悲しさと言うか、辛い一面もあるのです。
幼児体験というのが、一生付きまとうように、幼児体験に拘らず、体験したことは一生つきまとうものなのです。
体験とは、まさしくその字の通り、体が経験したことでありますから、体が機能している間、つまり生きている間は、忘れることが出来ないのです。
よく、時が解決する、と言われます。
体験したことの記憶を、時の経過期間、すなわち時間が長ければ長い程、忘却させてくれることは確かではありますが、完全に忘却することは有り得ないわけです。
ただ、その記憶の生々しさが薄らいでいくだけで、時が解決する問題は一般にはネガティブな記憶ですが、ポジティブな記憶も時の経過と共に薄らいでいくのです。
わたしは死んだことがありませんので、死んだら完全な忘却をさせてくれるのかどうかわかりません。
ただ、輪廻転生があるなら、完全な忘却というものはないでしょう。
どこか潜在意識下でも、その痕跡を残しているはずであります。
それでないと生まれ変わった魂と、前世の魂との繋がりをどうやって認識出来るでしょうか。出来る方法はありません。
それならば輪廻転生は、過去世を引きずることになって、決して魂の向上や浄化だけをしてくれるとは言えないのではないでしょうか。
わたしは思うのですが、過去の悲しい、辛い体験や悩みと言うのは、時が解決してくれるのではなくて、時間という四次元世界の中で収支決算してトータルがマイナスでなくなった時点で、忘却出来るのではないでしょうか。
55年間の人生という四次元世界を収支決算してプラスもあればマイナスもあるが、トータルではマイナスでなくなったら、その時に無事解決の儀になるのではないでしょうか。
トータルがマイナスである間は、60年生きようが、80年生きようが、決して時は解決してくれないと思います。
返って引きずる期間が長いだけに、その周りに余計な執念、執着という埃が多く蓄積するものです。
いい年をした老人が、ちょっとした感情で人を殺す事件を聞きますと、ますます時が解決するという考え方は、一面真理を言い当てていますが、反面では解決どころか、増幅させているのではないだろうか、そういう老人がこういった事件を起こすのだろうと思うのであります。
結局、時の経過に基づく自己の人生を三次元的に見ないことが大切なのではないでしょうか。
すなわち、自己の人生を時という四次元の要素で切った断面を見る生き方が、三次元的生き方であるのに対して、時間という四次元要素をも包含した四次元的生き方をして初めて収支決算が出来、その中では必ずマイナスもあればプラスもありますから、どこかの時点で収支決算のマイナスを脱することによって、ネガティブな記憶というものを洗い流すことが出来るのではないでしょうか。
時が解決するのではなくて、時間という時の経過の巾がある四次元世界で、ものごとを見てみることが大切なのではないでしょうか。