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Chapter 16 幸福感は苦痛の時間の長さで決まる 人間の体が、肉体的な苦痛に耐えられるのは個人差がありますが約30分から1時間だと言われています。それ以上続きますと自然に体が反応して気を失うことによって苦痛から解放してくれるのです。 同じことが、精神的な苦痛でも言えるのでありまして、約3ヶ月から半年だと言われています。それ以上精神は耐えられないようになっている。 時がすべてを解決してくれる、と言われる所以です。 逆のことも、言えるわけでして、歓びや幸福感というものも、永遠に続けることが出来ないようになっているのです。やはり時が消し去って行くのであります。 ここで、重要なことは、先ほど申しました、時間の間隔にも個人差があるということなのです。 まず、肉体面からお話していきますと、苦痛に耐えられるのは約30分から1時間だと申しました。 それ以上続くと、気を失い、最終的には死で以って苦痛を解放してくれるようになっているのです。 死というものを理解する上で、このことは非常に大事な点であることを強調しておきたいと思います。 死とは、ある意味で、最終的な苦痛からの解放であること、だからわたしは自殺することを、奨励はいたしませんが、宗教のように否定もいたしません。 これも常々言っていることですが、自殺も死に方の一つだと考えられるからです。 自動車事故や飛行機事故で死ぬ人もいれば、老衰で大往生する人もいる。 自殺でも、電車に跳び込んで死ぬ人は、遺族の人に迷惑をかけますが、独り静かに雪山の中で眠気に襲われた大往生的自殺もあります。 そう考えますと、宗教で禁止されている−インドのジャイナ教の開祖マハヴィーラは自殺を認めていたようですが−自殺にも、いろいろなパターンがあることが解ってきます。 自然死にも、いろいろなパターンがあります。 従って、自殺する人は良くない人生だと一概に言えないのではないでしょうか。 もちろん、穏やかに大往生する死に方が最上だとは思いますが、雪山の雪に埋もれて静かに死んでいくのも大往生かも知れません。 自然の中に溶け込んで生きている動物は、自分の死期を悟ることが出来るようで、死期がやって来ると、仲間から離れて独り誰にも見られないように死んでいくと言われています。 ものは考えようで、歴史上の大英雄が大勢の人たちに看取られて死んで行くのを幸福と考えるか、悲惨な暗殺に遭って独り淋しく死んで行くのを不幸と考えるか。 わたしなどは、ひねくれているので、大勢の人に看取られていたら、未練が残って余計死ぬのが嫌になるように思うのですが、それなら独り静かに誰にも看取られずに死んで行く方がどれだけ極楽かと思います。 本題は、苦痛に耐えられる時間に個人差があるという話しでしたが、わたしは思うのですが、苦痛に耐えられる時間が長い人ほどより幸福な方だと考えています。 肉体的に言えば、15分しか苦痛に耐えられずに気を失う人よりも、1時間でも2時間でも苦痛に耐えられる人の方が、より幸福だと思います。 精神的苦痛や悩みを、永く耐えられる人は幸いなりと思うのですが、みなさんは如何でしょうか? 気を失う、意識出来なくなることの方が、わたしは辛い、悲しいと思うのです。 人間の幸福感、至福感は、自己を意識している時に感じるものであります。無意識な人間には不幸感も無い代わりに、幸福感も無いと思いませんでしょうか。 要するに、意識している時間が長い人ほど、幸福感、至福感を持てることが出来、特に死ぬ時に、それが出来るかどうかが、その人の人生の正念場だと考えるのです。 死に際して、「死にたくない!」と叫んだり、ましてや、「お医者さん、助けてくれ!」と叫ぶ人間は、仮にその時は死ななくても、その後の人生は地獄の真只中の連続だと思います。 わたしは、そういう無様なことだけはしたくないと思っているのですが、これだけは死に際した時にしか分からないものでもあります。 |