Chapter 26 継続すること

体内時計という、それぞれの人間の中に宿っている神のぜんまいを巻くには、日々規則正しい生活を継続することが肝要だと申してきました。
ここでは、継続についてお話してみたいと思います。
わたしは、人間が本当に生きているか否かの判定は、日々継続しているものが一日24時間の内、どれだけ占めているかが、その基準だと再三申してきました。
「それは当たり前だ。誰でも日々の糧を得る為に、仕事をしている。これは立派な継続ではないか」
とおっしゃられるかも知れませんが、日々の糧を得るための活動は、厳密に言えば継続行為には当てはまらないと思います。
「生きることそのものが立派な継続行為である」という観念からすれば、確かに、仕事をする行為も立派な継続行為ではありますが、わたしがここで論及しているのは、如何に「自分の神と対面し、神は自分のすぐ傍にいてくれる」安心立命の境地になれるかについてでありますので、もう一歩踏み込んだ意識の層に入るのを目指しています。
その観点から致しますと、「ただ生きるための行為」では、安心立命の境地には決してなれないのは、みなさんが日々一所懸命生きておられるにも関わらず安心立命の境地にほど遠い心境であることが証明していると思うのです。
人間の意識は、玉ねぎのようなものでして、一枚一枚の玉ねぎの皮が意識の層であります。
一番外側にある皮は、よく「あの人は羊の皮を被った狼だ」という表現にもある、ポーズばかりを意識する層であります。
この意識は、生まれて数ヶ月経った時点から、産んだ母親によっていろいろなポーズをインプットされていきます。
最初の挨拶が産まれた瞬間に「オギャー」と泣く−これは泣いているのではなく、息を自分で出来ますというシグナルを母親に送っているのです−ことから始まり、母親からいろいろな人間社会のルールを躾られていきます。これらが内蔵しているのが、第一枚目の皮の層であります。
そして人間社会でスムースに生きていく上でのポーズの技術をマスターしますと、次の層、つまり玉ねぎの第二枚目の層の意識にインプットされていきます。
ここが、「生きる糧を得るための仕事」に関する意識が内蔵されている層なのです。
「あなたの職業は?」と聞かれたら、日本人なら、「わたしは、どこそこの会社に勤めています」とまず答えます。
欧米社会の人なら、「わたしは、何々を販売する営業マンです。わたしはコンピュータのエンジニアです」等々と答えます。
これらの反応は、この第二枚目の意識の層からアウトプットされます。
ほとんどの人間は、この第二番目の層の意識で生きています。
だから、「生きる糧を得る仕事」を立派な行為だと思っているのです。
それなら、何故いつも不安な気持ちで生きているのでしょうか。
「こんな不測の事態が起きたらどうしよう。病気になって仕事が出来なくなったらどうしよう・・・」といつも脅迫観念に駆られて生きているのが、ほとんどの人間ではないでしょうか。
宗教に頼る心理はすべてこの脅迫観念から来ているものです。
この脅迫観念の原点は、死に対する恐怖であることは、再三申してきました。
死に対する意識は、玉ねぎの皮で喩えますと、第一枚目、第二枚目の皮を剥ぎ取っていくと、薄い第三枚目の皮の内側に二重の層になっている部分があって、その外側の皮が、死に対する意識の層なのです。
そして内側の皮が、生に対する意識の層で、これらは表裏一体になっています。
この表裏一体の皮を剥ぐと、玉ねぎの皮はなくなり、そこには何も無い意識が実在し、時間と空間の四次元世界の意識に繋がっているのです。
その世界に入って初めて安心立命の境地になれるわけです。
わたしが、「神はすぐ傍」にいてくれる安心感の境地と言っている世界のことであります。
従って、ほとんどの人間が留まっている第二枚目の皮を剥いで、死と生が表裏一体となっている最後の皮を剥ぐ作業までの境地に至るにはどうしたらいいのかを論及しているのです。
「生きる糧を得る仕事は立派な継続行為である」意識の層では、安心立命の境地にはなれないのであります。
生と死を理解することが、この最後の皮を剥ぐことなのですが、第二枚目の皮と二重構造になっている最後の皮の間に薄い皮が一枚あると、先に申しました。
実はこの薄い皮を剥ぐことが、一番厄介な作業なのです。
一枚目、二枚目の層でインプットされた通りに生きていれば、役割も決まり、うたい文句も決まり、まったく何も考えずに、そのまま生きていればいいのですから、ある意味では楽であるわけです。
他の動物たちはみんな、この層の意識で生きておるのです。
ところが人間だけには、考える能力が与えられたものだから、「二枚目の層に留まっていてはいけないのではないか」と葛藤するのです。
この葛藤する層が、最後の層との間にある薄い層であるのです。
生理学的には、大脳皮質の新皮質に当たるものなのです。
この一枚目、二枚目の意識の層と、その内側にある薄い層との間を往来しているのが、まさに人間であるのです。
悩み、不安、恐怖などの原因はすべてこの葛藤から生じていると言ってもいいでしょう。
普段生きている一枚目、二枚目の意識の層と、薄い皮の層との間を往来することによって生じる葛藤から抜け出し、悩み、不安、恐怖の根本原因である生と死を理解する為に、この薄い皮を勇猛果敢に通り過ぎて行かなければなりません。
その唯一の方法が、薄い皮を少しずつでも間断なく、剥ぎ取る作業を継続することであるのです。
わたしが唱導しておる継続というものは、この作業を意味しているのです。
つまり、「生きる糧を得る作業」は当然のことであって、その上に、「生きる糧を得る作業」には直接ならないが、自分自身の本質を向上させる為には大事なことを日々継続していくことが、それにも増して大切であり、その継続を一日24時間の中でどれだけやっているのかが、その人の人生を決定してしまうと思うのです。