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Chapter 29 実時間と虚時間 わたしたちが、日常意識している時間というものは、過去から未来へと前進する、水平線的に動くものです。 それに対し、現在この瞬間はこういった水平線的動きではなく、垂直的な動きをするとも申しました。 そして、実は水平線的動きのものは時間ではない、だから過去も未来も時間ではないとも申しました。 それでは、現在この瞬間から垂直的に動くものは、一体何でしょうか。 実は時間には二種類の概念があるのです。 Chapter28で、お話しました三つの時間の矢ですが、人間が勝手につくり上げた心理的な時間の矢つまり過去から未来へと進む時間の矢、それからエントロピーという時間の経過と共に、秩序あるものから無秩序なるものへと移っていく時間の矢は、水平線的な動きをする。 一方、素粒子の一つであるニュートリノに質量があることが、日本の神岡鉱山の地下千メートルのところに設置されたスーパーカミオカンデで解明されました。宇宙に遍在する素粒子ニュートリノによる巨大な重力によって、宇宙の曲率が正(プラス)である可能性が高くなり、従来から考えられてきた重力による宇宙空間の曲率が、アインシュタインが主張する静止宇宙モデルのゼロでもなく、膨張し続ける負(マイナス)でもないことが解ってきたのです。 宇宙誕生以来膨張し続けていると主張する第三の時間の矢が、どうやら怪しくなってきたのです。 膨張から収縮に転ずる時が必ず来る、つまり時間の矢の方向が逆転する時が来るという考え方が有力になってきたのです。 この理由は、前述した宇宙空間の曲率に関係あるのです。 少し難しいのですが、アインシュタインの相対性理論に、宇宙空間はエネルギー(つまり物質の存在)によって曲げられるという方程式があります。 Gij=(8πG/Cの4乗)Tijという方程式なのですが、Gijは宇宙空間の曲がりであり、Tijはエネルギーで、cの4乗は光の速度の四乗、Gはニュートンの万有引力定数であります。 わたしたちが認識できる世界は余りにもちっぽけな存在なので、はっきり知覚出来ません。 『物質のある空間は必ず二次元の平面を歪めているような空間である』 アインシュタインはこう言っているのですが、その曲がり方、歪み方に、負およびゼロの曲がり方(ゼロ以下の曲率と言う)があり、これはまさに凹レンズのようなものです。 一方、正(プラス)の曲率の空間もあり、これは凸レンズのようなもので、ちょうど、地球の表面が正の曲率の空間と言えるでしょう。 そして、空間に大きな重力場があると、正の曲率の空間になって、その空間は膨張した後、膨張に掛かった同じ時間で収縮して最後は破壊してしまうのです。 ニュートリノに質量があると確定されたことは、わたしたちの宇宙空間には巨大な重力場があると証明されたことになる、画期的な発見であるのです。 そうすると、他の二つの時間の矢の方向も逆転し得ると考えられるわけです。 また、そう考えた方が、時空の世界の果ての境界点である特異点においても、物理学の法則が適応されるのです。 特異点というのは、ニュートンやアインシュタインがつくりあげた物理学の法則が適応出来ない宇宙の果てのその向こうとの境界点を言うのですが、我々の住む宇宙では、時間の矢の始まりである、ビッグバンの瞬間、そして時間の終わりとされるブラックホールになって星や宇宙が死んでいく二つの特異点においても、物理学の法則が適応されることになる。 これで初めて宇宙すべてを貫く法則が確立されるわけです。 相対性理論は、二つの特異点の間しか適応出来ない、その向こう側は神の領域だと、アインシュタインは決めつけ、『神は決してサイコロを振りたまわず』として神の領域を侵してはならないが、同じ法則が適応されるはずだと主張しました。 しかしその後、ハイゼンベルグ等によって、量子論が確立され、素粒子は、アインシュタインが主張するような法則に則した動きをしなくて、全く予測不可能な動きをするという不確定性原理を発表しました。 またそれが素粒子の世界で立証されたのです。 確かに、粒子の動きは予測不可能で、光の粒子も、その動きを予測することができないのです。 たとえば太陽の光は、透き通ったガラスなら通過していくのに、閉められたカーテンを通過することは出来ないことぐらいは、みなさんも知っておられるはずです。 ガラスもカーテンもある原子が化合した分子化合物であり、量子論の世界では、その分子構造のキメの粗さが違うだけなのに、光はガラスの中は通過してもカーテンは通過出来ないという真に理解不可能な動きをするのです。 そこで、粒子の動きには確定されたものはなく、予め予測されるすべての可能性の確率(これを経路和と言うのですが)を高めるしかないと考えられるようになり、粒子の動きには、心理的、かつエントロピーの時間の矢、つまり過去から未来へと進む時間の矢以外の方向が考え出されたのです。 それがまさしく、水平線的時間の矢に対して、垂直的時間の矢であり、それを我々が認識している実時間に対して虚時間と定義されたのです。 なぜ虚時間と名づけられたかと言いますと、実時間の矢である水平線的方向に対して垂直的方向の時間の矢を表すのに、虚数(Imaginary Number)iと実数(Real Number)をまとめた複素数(Complex Number)という概念を使わなければならないからです。その為に、2乗が−1(マイナス1)になるという、実際には在りえない虚数iを編み出した。 その虚数から虚時間と言われるようになったわけで、その名の通り、在り得ない時間なのです。 しかし、わたしが「心の旅の案内書」「神の自叙伝」以来、強調してきました、時間の概念、特に過去・未来と現在とは次元の違うもので、過去・未来は水平線的動きであり、現在この瞬間は垂直的動きをして、真理は垂直的方向にあるという考え方に、虚時間の概念は合致するのです。 虚時間とは、水平線的実時間に対し、垂直的時間であるからです。 虚数iは、実数の方向に対し、垂直の方向を指す数だと定義されていて、一回iを掛けるごとに方向が90度変わることを数字で表したものです。 iを二回掛け合わせたiの2乗が180度反対方向に向く数字、つまり実数と虚数の座標では、現実に在りえない−1(マイナス1)としたことから虚数と名づけられました。 しかし、わたしは、この複素数で表す虚時間こそ、円運動つまり360度すべての方向を示すことができる真理を表す時間であり、我々が勝手に決めた過去から未来へと動く時間の矢の水平線上では、真理は見出せ得ないと考えているのであります。 どうやら真理は実ではなく、虚の中にあるようです。 |