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Chapter 30 人間の時間の始まり 『宇宙は、時間と空間の時空の世界であり、それはビッグバンという宇宙の誕生で始まり、ブラックホールという宇宙の死で終わる。 従って、この二つの特異点の中だけしか、物理学の法則は適応されない。しかし、その向こう側にいる神の領域でも、同じ法則は厳然とあるはずだ』 アインシュタインは1915年に一般相対性理論を発表した時に、そう信じていました。 しかし、1920年代に入って量子論が発表され、また20世紀の後半になってインフレーション理論がビッグバン以前の存在を説明し、真空エネルギーが時空の始まりとされ、ブラックホールも光や素粒子を放出しながら蒸発していて、決して事象の地平線とは限らないという説がどんどん発表されるに及んで、時間の始まりについて見直さなければならない時代に入ってきたようであります。 そして宇宙にはいろいろな宇宙があって、みんな時間の概念が違うことも解ってきたのです。 そうしますと、太陽系惑星においても、また地球においても、地球の一部である人間においても時間の概念が変わってくることになるはずです。 なぜなら、人間が感じている時間も、原点は時空の世界であることを、今までに何度もお話してきました。 そこで、それぞれの人間にとっての時間は、一体どこから始まるのかを考えてみたいと思います。 この宇宙に現実に存在するのは、母親の胎内から臍の緒を切られて産まれ落ちた時であるわけで、時間がスタートしたのは、その時のはずであります。 ところが、実際に時間の観念を持つに至るのは、それから数年の時間が掛かっているのです。 記憶という形で過去のことを憶えていることから、時間の観念が誕生するわけです。 そうしますと、母親の胎内から産まれ落ちて、記憶が始まるまでの間の時間の観念は一体どうなっていたのかが疑問として残ります。 そこで、我々が持っている時間の観念をおさらいしておきたいと思います。 「時間の矢」でお話しましたように、人間が持っている時間は心理的な時間の矢であり、過去から未来へと前進するもので、過去のことは憶えていても、未来のことは憶えていない、水平線的な時間の矢としてのものであります。 記憶があるということは、まさに過去のことを憶えていることに他ならないわけです。 従って、産まれ落ちてから数年経過した後に始まる記憶は、時間の矢が水平線的方向のものであることが解ります。 そこで、宇宙の話しに戻りますが、実は時間の矢の一つである、宇宙のビッグバン以来膨張し続けていると考えられていたことが覆され、収縮する時期も来ること、そして時間の始まりがビッグバン以前にもあったことを思い出してください。 つまり特異点において、物理学の法則が適応されないと考えられていたことが、特異点の向こうでも適応されるべきで、また実際に適応されることが解ってきたのです。 さて、それぞれの人間においての特異点は、産まれて数年後の記憶が生じた時点だと、今までは考えられてきた。それ以前のことはまったく記憶に無いわけですから、まさに特異点であるはずです。 宇宙の特異点の向こう側を解明するのに虚時間の考え方を方便として使ったら便利であったのと同じように、人間の特異点の向こう側を解明するには、虚時間の概念を導入すればいいのではないでしょうか。 すなわち水平線的時間の矢ではなく、垂直的方向の時間の矢を導入すればいいわけです。 産まれ落ちてから記憶の無い数年こそが、実は人間が虚時間の中で生きている時なのです。 その後、周囲からいろいろな条件づけをされていく内に、水平線的時間の矢である実時間の世界に埋没してしまうわけです。 21世紀に入って、宇宙探求のテーマは、そっくりそのまま人間探求のテーマであるのです。 その時、最も大事なことは、水平線的時間の矢ではなくて、垂直的時間の矢を自分のものとすることではないかと思うのです。 その為には、虚時間の中で生きていた、記憶の無い時の生き方を知ることが大事ではないでしょうか。 それを思い起こすには、母親しか当時のことを憶えている者はいないのですから、まず母親の協力が必要であります。 しかし最も大事なことは、自分自身の記憶を少しずつでも過去へと遡って行くことです。 自分では、5才ぐらいのことしか憶えていないと思っても、実は産まれ落ちた瞬間のことをきっちりと憶えているのです。 それが消えたかのごとく思うのは、母親の影響によって消されてしまっているからで、その影響の実態を理解して取り除いてやれば、自然に浮き彫されてくるのです。 そうしたら、虚時間が実は実時間で、実時間と思っていたのが、まったく虚しい時間であったことを、あなたは思い知ることになるでしょう。 |