Chapter 35 四次元世界は時間が止まる

N次元世界の運動は(N−1)次元的運動をすると、以前に申しました。
たとえば、我々三次元物体の世界は、常に二次元平面運動しかできません。
それは、N次元要因のナイフで切ったケーキ(断面)は、(N−1)次元世界であるからして、N次元要因は、ナイフの切り口のところで止まっているわけです。
たとえば、今わたしは、2002年7月17日午前5時15分という四次元要因の時間のナイフで切ったら、ラスベガスのベッドの上で、このChapter35を書いている三次元世界が顕れてくるのです。
その時、四次元要因の時間は、2002年7月17日午前5時15分で止まっておるわけです。
そしてベッドの上で書いておるわたしは、三次元的運動をしているのです。
更に、2002年7月17日午前5時15分で切った四次元世界の断面であるラスベガスのベッドの上で書いているわたしを、テレビカメラで撮る、つまり三次元要因でカメラが動くと、テレビに二次元画面として、わたしの姿が映し出されるのです。
従って、我々三次元立体世界は、四次元要因の時間のある切り口の断面しか見ることができないのであります。
四次元世界とは、時間の要因が始まりから終わりまでを、すべて見渡した世界であるのですから、確かに四次元世界は実在するのですが、認識はできないのです。
五次元世界に存在できてこそ、四次元世界を認識できるわけです。
従って、我々が存在する世界は、四次元世界のある切り口の断面であって、四次元要因は静止しているわけです。
わたしが、虚時間こそが、この静止している時間そのものであると言っている理由がここにあるわけです。
実時間であれば、静止することはなく、永遠に流れている。
それは、水平線的流れであるから、静止することは有り得ないのです。
しかし、垂直的方向であれば、時間は静止するしかないわけです。
我々は、三次元物体でありながら、四次元的動きをしようとするから、問題が生じるのです。
平たく言えば、今ここしか生きることができないのに、昨日のことを考えたり、明日のことを考えたりしているわけで、それは幻想であって実在ではないのです。
実在するのは、今ここ、しかないのです。
それを体得するためには、垂直的時間の矢である、虚時間によって時間要因を静止するしかないのです。
時間を静止して生きる。
これこそが、四次元世界を生きることであり、三次元世界を100%認識した生き方をすることができるのです。
リアルに生きるとはまさに、このことを意味しているのです。
四次元世界とは、四次元要因である時間が静止している、つまり虚時間という垂直方向の時間が四次元要因であることを証明しているのです。