Chapter 37 神のみが時間を静止できる

我々が人知を超えた経験をした時、時間の意識は突然消滅していることに気づかれたことがあるでしょうか。
我々人間が、日常生活をしている時は、まさに「している時」の表現通り、我々は時間の流れと共に生きています。
陽が昇れば、朝が来たと思ってベッドから起き、陽が沈めば、夜が来たと眠る準備をします。
またその間も、常に時間を意識しながら生きているのであって、時間を意識しないで生きていることはありません。
たとえ、あなたが山中深くで隠遁生活をしていても、朝はやって来るし、夜もやって来る限り、時間に対する意識から逃れることはできません。
その中で、唯一時間の意識がなくなるのは、どういう状態になった時であるかと言うと、自己の意識がなくなった時であるのです。
自己の意識がなくなるということは、全体意識との区別がつかない、つまり全体意識の中に溶け込んでいることに他ならないわけです。
全体意識の中に自己が含まれているからこそ、人知を超えた経験をしていることが認識できるのです。
しかも、全体意識がそれぞれの神、つまり自己を包含する世界の時間とするなら、時間の中に溶け込んでいる自己はないのですから、時間の流れを感じることはないはずです。
ニュートンの慣性の法則に従って、全体の中で同一運動をしている時は、走っている電車を観測している者にとっては全体と同じ動きをしているわけですが、動いている電車に乗っている者にとっては静止した感覚でいるのと同じ理屈であります。
我々人間が創造した神の概念では、神の為せることは人知を超えた技であり、その現象は時空を超えたものだとされ、従って人知を超えておるわけです。
すなわち、我々人間の神は、時間と空間を超越した存在とされてきたのであります。
しかしながら、わたしがここで提議している、神こそ実は時間であるという観点から致しますと、時空の世界に溶け込む、つまり自己意識そのものが、時間と空間であると認識をすることであり、時間の流れに沿って絶対的には運動しているのだけれども、全体の中に溶け込んでいるが故に、時間の流れを感じない状態であるのです。
時間の矢が水平線的であれば、時間の流れを感じるのですが、時間の矢が垂直的であれば、時間の流れを感じず、静止した感覚でいることができるのです。
あなたは、日常生活の中で、時間が静止した感覚を持ったことが、どれだけあったでしょうか。
あまり良くない例でありますが、車を運転していて事故に遭う瞬間、絶対時間は流れていても、あなたの相対的時間は静止しているはずです。
あなたがセックスをしていて、いよいよクライマックスに達した時、絶対時間は流れている、つまりクライマックスの間にも数秒は経過しておるわけですが、あなたの中の時間は静止してしまっているはずです。
その時、あなたの時間という神は、あなたの傍にいて微笑んでくれているのです。