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Chapter 41 虚時間の中を生きる これまで、我々が生きている宇宙世界は、時間という次元を加えた四次元世界であり、その時間が三つの矢を持っており、その矢の方向は、すべて水平線的なものであると申してきました。 そして、水平線的時間の矢である故に、人間は時間を制御することは出来ず、一方的な流れの中を流されていて、後ろに戻ったり、上に上がったり、下に下がったり、という自由裁量がないということを、お話してきました。 そして、時間に対する無力感が、人間が生まれて死ぬまで、釈尊の言葉を借りれば、生老病死という四苦と、愛する者といつか別れなければならない苦(愛別離苦)、憎くて怨みを持っている者と出会う苦(怨憎会苦)、求めるものが得られない苦(求不得苦)、肉体が生きている故の苦(五陰盛苦)を合わせての四苦八苦に翻弄された人生になっておるわけです。 時間に翻弄されずに生きることが出来るなら、こんな四苦八苦を味わうことは、全く無いと言っていいでしょう。 まさに自由自在の観自在菩薩の世界におれるのです。 では、時間に翻弄されない為の方法は?ということが最も大事なテーマになるわけです。 それを解決してくれるのが、実時間つまり水平線的時間からの解放であります。 過去のことは済んでしまったことで、思い出すことは出来るが、どうすることも出来ない。 未来のことは、未だやって来ていないから、思い出すことが出来ない、従ってこれもどうすることも出来ない。 こんな状態で、人間は生きて来たのですから、四苦八苦は当然のことでありましょう。 どうすることも出来ない過去と未来の狭間にある、現在この瞬間に生ききることこそが、その問題解決の要点であることは、過去から、いろいろな宗教、特に仏教の禅宗などで強調されてきたことです。 「只管打坐」 ただただ、何も考えずに座っていること。瞬間に生ききれと言っておるわけです。 然しながら、言うは易し、行うは難し、であって、これを実行できた人間は、誰一人いなかったと思うのであります。 釈尊、イエス、モハマッド、空海、親鸞、日蓮、道元、白隠、良寛、一休・・・・。 一つ間違えば、「オーム、AUMが宇宙とのかけはし」、「それは定説です」と言っておるだけで、無能なサラリーマン社長が経営する大企業よりも、坊主丸儲けを地で行く、ビッグビジネスを実践しておった輩と同じことになりかねないのです。 現に、キリスト教世界のヨーロッパに点在する多くの大聖堂を見る度に、これに対抗するビッグビジネスは無いであろうと、嘆息するのは、わたしだけでしょうか。 確かに、現在この瞬間を生ききることが、その処方箋でありますが、今までの宗教は、そこで止まっておるのです。 現在、この瞬間とは、如何なるものかを、もっと具体的に示すことが何よりも大事なことであるのです。 それは、虚時間の概念を理解し、虚時間の中を生きることであると思うのです。 それでは虚時間の中を生きるには、どうすればいいのか。 観念的には、時間を垂直的に見ること、と何度も申してきました。 時間を垂直的に見るとは、どういうことか。 朝、目が醒めた時から始めても、夜、眠りに就く時から始めても構いません。 所詮、それは一日という一回帰の始点と終点であり、同じ場所であるのですから、自分の好きな方を選べばいいでしょう。 ただ条件は、眠気があっては駄目です。 また完全に醒めていても駄目です。 その眠気と目醒めの狭間をまず見つける訓練をすることが第一ステップです。 そして、その狭間を見つけることが出来たら、座っていても、寝転んでいても構いませんが、目の前に秒針が回転している時計を置いて、自己の肉体の細胞一つ一つが息づいているイメージを描いてください。現に息づいているのですから、イメージではなく知覚すると言った方が適切でしょう。これが第二ステップです。 そうして、目の前の時計の秒針を見ます。 秒針が止まっていたら、あなたは虚時間の中を生きているのです。 ただ、それだけの実に簡単なことであります。 至福は、そんなややこしいものではないのです。 |