Chapter 46 時間を悟る

人間が生きていく中で、最も重大な関心事は何かと申しますと、死に対する恐怖を如何に克服するかに尽きるのではないでしょうか。
逆説的に申しますと、望まずしてこの世に生まれてきて、生まれた限りはいつか必ず死ぬということを知らされた人間は、そこから生きる苦しみを味わう人生を送ることになるわけです。
そしてその緒に就くのが、ちょうど7才前後に、死ぬということを知ることによってであり、そこから記憶の蓄積が始まります。
一般の人間にとって、実質の時間の始まりは、記憶の蓄積が始まった時なのです。
何度も申しますが、人間の本質的な時間の始まりは、母親の子宮内で受精した時であります。
しかし、それを認識するまでに数年かかっているのです。
認識するきっかけを与えてくれるのは、自己の生死の問題を知るに至った時であり、それがちょうど7才前後の頃であるのです。
それでは母親が、その頃に敢えて死について教えたのでしょうか。
逆に、母親は子供が死の観念を知ることを極力避けようとします。
しかし、子供は知ってしまうのです。
それは記憶の蓄積、つまり知的活動を開始する結果であります。
そうしますと、人間は死ぬことを知ってから記憶の蓄積が始まると申しましたが、実は逆で、記憶の蓄積が始まることによって死を知るに至るのです。
それでは記憶というのは、一体どのようなものかを知る必要があります。
ここが重要な点であるのですが、記憶というのは、過去にあった自己に関する心身の出来事を時系列的に整理されたものを言うのです。
時系列的に整理されていない過去の出来事は記憶には留まりません。つまり忘却してしまっているのです。
ここまで、お話すると、「なるほど、そういうことか」とぼやっとながら理解される方が100人の中で3人はおられます。
記憶のメカニズムとは、過去の出来事は、IT時代の今流に言いますと、コンテンツであります。
しかしコンテンツだけあっても、デジタル化されたコンテンツが必要に応じて、つまりOn Demandにアウトプットされて初めて価値が生じるのです。
その為には、取りとめのない「過去の出来事」の状態では、記憶として留まらないのです。
時系列的かつデジタル化されていないと駄目なわけです。
それを可能にするのは、時間の観念が自己の意識に生まれるかどうかに掛かっています。
時系列かつデジタル化。
これがキーワードであります。
時系列つまり時間を過去・未来に区分けすることなのですが、これは本質的に受精した時点から具わっています。
デジタル化とは、過去の出来事つまり情報を整理し易くすることです。
このデジタル化する能力を知性というのです。
動物には知性がありません。記憶能力があるように思いますが、知性で記憶しているのではなくて、体の反射神経が反応しているのです。
IQのレベルとは、この過去の出来事を記憶に留めるために必要な時系列化とデジタル化能力に優れているかどうかで決まるのです。
デジタル化は知性ですから、大脳の訓練によってレベルアップは可能です。
しかし時系列化は、知性の力ではレベルアップできません。
時間の観念がないとは、時系列化能力が劣っている、欠落していることを言うのです。
ほとんどの人間が持っている記憶というのは、本質は時系列化されていないと記憶にはならないのですから時系列化されているのですが、時間に対する明確な意識を持っていない、つまりON Demandな状態になっていないのです。
それが生きる苦しみの根本原因であるのです。
きっちりと整理された記憶であれば、時間の始まりである受精の時からの記憶があるはずなのです。
7才前後からしか記憶に残っていないのは、この時系列化とデジタル化がきっちりされていないからで、これは死ぬ、つまり時間の終わりまで引きずって生きていくことになります。
従って、生死の苦しみや、お釈迦さんが言ったという四苦八苦からの解放である悟りは、この記憶の時系列化とデジタル化ができていなければ、永遠に不可能なことであるのです。
そういう意味で、時間に対する想いの強さが、悟りに至らなくても、それに一歩でも近づくための根本要因だと思うのであります。
やはり時間が神だと定義するのが、人間が生きる上において一番の処方箋ではないでしょうか。