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Chapter 8 時間の観念の無い人間 約束した時間をきっちり守れない人間がいます。 こういう人間は、本質的に次元の低い人間であります。 要はレベルの低い、人格も低劣な人間です。 体質がそうなのだから、治しようが無いのです。 この作品のテーマは、時間が神だということですから、神から見捨てられた人間であるわけです。 実は、こういう人間が、日本のキリスト教信者に結構多いことに、最初気がついたのです。 ところが、キリスト教の人間にどうして多いのか不思議に思っていたのが、実はそうでは無くて、宗教を信じる人間すべてに、この傾向が極めて強いことに気づいたのです。 この作品を書く動機になったのも、その気づきからでありました。 どうやら、宗教を信じる人間、つまり神の存在を信じる人間は、時間というものを無視する傾向があるようです。無視という言葉が語弊あるなら、永遠と言ってもいいでしょう。 時間というのは、どんな人間にも、神にも−もし神というものがいるなら−平等に与えられています。それがどうやら彼らには気に入らないようなのです。何故なら神は特別な存在なのだから、時間に支配されていない永遠のものだという錯覚があるのです。 すべての判断の中心が、信じる神ですから、それ以外のことは気にしないようです。常に信じる神だけを見つめて生きているのですから、他のことは疎かになるのも当然でしょう。 他人に迷惑をかけていようが、まったく意に介さないのです。 ところが、人間社会に生きていて、それぞれの人間の間で一番の共通項は時間なのです。 それ以外のことは、それぞれの人間の考え方があると片付けることが出来ますが、時間に関しては出来ません。 「いや、他人は、1時間はこんな長さのものだと思っているかも知れないが、自分の時計では、そんな長さではない。それはそれぞれの考え方の違いだ」では片付きません。 人間にとって、多様的な捉え方が出来ないものには、二つしかありません。 一つは、生まれた限りは必ず死ぬということ。このことに関して個人個人の違った考え方があるでしょうか。 「自分は、人間の肉体は死なないで永遠に生きるものだと思っている」、「いや、やはり人間は肉体を持っている以上、必ず死ぬ」などと、個人によって考えが違うでしょうか。死はかならずいつかやってくる。That's allです。 もう一つは、時間というものは、すべてのものにとって同じ尺度であるということ。 この二つ以外は、個人の考え方次第です。 しかし、この二つに関しては無条件に共通であります。 だから、時間の観念の無い人間は、人間に在らずであります。 人間でない人間は、死ということに無知な人間であります。 無知が怖れの原因なのですから、死に対する無知な人間が死を恐れるのです。 時間の観念をしっかり持てる人間になることが、時間が神であり、常にすぐ傍にいてくれる安心感を持てるのです。 |