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Chapter 1 あなたの神 Part I 「時間が神」では、時間と空間で織り成す時空宇宙に、できるだけ形而下学的アプローチをしながら、形而上学的課題である人間の存在理由を検証してきました。 それでは、人間の存在理由というのは,所詮宗教あるいは形而上学的課題でしか在り得ないのでしょうか。 人間も、大きな銀河宇宙の中にある数千億、数兆の恒星の一つである太陽の惑星・地球に生命体として厳然と存在しているのですから、その存在理由を何らかの方法で形而下学的に説明できるはずであります。 しかし、今までこの問題は、あくまで宗教や哲学といった形而上学に任せてきた感があったことは否めない事実であります。 科学者ですら、それを認めてきたのです。 そして、その中で神という概念が主人公となってきました。 時には太陽自身が神であったり、また時には太陽の中で水素が核融合してヘリウムガスになる際に起こす爆発によって生じる光を神と崇めてみたりして、人知を超えた存在を、とにかく神として自らを納得させて人類は生きてきたのです。 一方、「これ以上は神の範疇である」と言いながら、科学者の方々は、貪欲にも「これでもか、これでもか」と、神の範疇を侵し続けているのです。 21世紀はバイオテクノロジーの世紀だと言われていますが、遺伝子工学なるものが流行になり、人工頭脳−人工知能ではなくて−を創り出そうとしたり、挙句の果てにはクローン人間をも創りかねない昨今のお宅科学者たちで溢れています。 わたしは、冒頭にて申しましたように、形而上学も形而下学も、本来そのような区分けなどないはずであって、形而下学で検証されるものは形而上学でも認められ、かつ適応されるべきであり、逆に形而上学で思考されるものは、形而下学でも実証されるはずであり、されるべきだと言う見地に立っております。 一体、神とは誰がどんな目的で創造したのでしょうか。 人間が創造したことは間違いないでしょう。 理解出来ないが、現実に起こっている現象を経験して、その原因が不明なものは、みんな神の仕業で片付けてしまうのが、その根本の狙いであったのでしょう。 それは宗教家であっても、哲学者であっても、科学者であっても、根本的姿勢は同じではなかったでしょうか。 結局の処、解らないことを、無理やり解ろうとする、人間だけが持っている知的欲望の為せる技ではないでしょうか。 『解らないことは、解らないままでいい』 自然と融合している生き物は、そう思っているはずです。 解らなくても、その場になったら、自然に最善の対応ができることを知っているからでしょう。 自然を信じていると言ってもいいのでしょうが、わたしは、自分を信じていると言った方が適切ではないかと思うのです。 それでは、自分自身を100%信じることが出来るには、どうしたらいいのでしょうか。 神という言葉を使うなら、神が自分の中に一緒にいてくれることではないでしょうか。 いくらイエスキリストが立派であっても、自分ではありません。 いくらお釈迦さんが素晴らしい知性を持った人間であっても、自分ではありません。 ましてや、巷の教祖様も同じであります。 自分自身を信じることが、すべての問題解決の要諦であるのに、他人様を信じても−実際には信じている振りをしているだけでしょうが−、何の問題解決の役にも立ちません。 この21世紀という、科学で代表される形而下学と、宗教で代表される形而上学とが混在する混沌とした世界で、自分自身を信じることのできる人間になることが大切なことであり、その方便として、神が自分の傍にいてくれていることを確信する自分作りをするべきではないでしょうか。 |