Chapter 15 楽しい人生

前Chapterでお話しましたように、人生とは、実はエキサイティングな大旅行であります。
エキサイティングな旅行を楽しいものにするか、苦しいものにするか、この違いについてもう少し詳しく説明していきましょう。
楽しいことは、時間の経過を感じさせませんが、苦しいと1分でも一日の長さぐらい長く感じるとよく言われます。
ボクサーが試合をすると、3分間のラウンドが何時間のように思うほど長く感じるようです。
チャンピオンのような強いボクサーでも、みんな等しく思うのです。
その原因は、やはり恐怖心から来ているのです。
既知のものごとに、恐怖心は湧きません。
未知であるが故に湧いてくるのが恐怖心であります。
わたしの知己の方で、元外国語大学教授の方と最近お会いしたら、こう言われていました。
「死とは、差出し人のない速達便。時間も内容も誰にもわからない」
その先生は83才のご高齢ですが、いまでも記憶力も衰えず頭脳明晰を維持されておられます。
その先生がおっしゃられるには、「生きることは、本当に楽しい。今日もまた、この歳で新しいことを知って感激しました」
生きること、そして死を迎えること、これすべてまったく予測不可能なこと。
予測不可能な未知なるものに不安を覚えると、死は恐ろしいものになり、生は苦しみとなります。
予測不可能な未知なるものに好奇心を持つと、死というものが、恋人を待って心がわくわくするようなものに思えてきて、生きることが楽しくて仕方ないものとなります。
まわりの環境は、なにも変わりはありません。
本人の心に不安を持つか、好奇心を持つかの違いだけで人生が楽にもなるし、苦にもなる。
しかし、誰も好きで不安な気持ちになっているわけではありません。
そこで不安の発生原因が一体何であるのかよく考えてみますと、保身の気持ちが強いことに原因があることが解ってきます。
生き物はすべて、程度の差こそあれ、自己を護ろうとする本能を持っています。
しかし、人間は、自力で自己を護り切ることは不可能であることを知るに至って、他人との関りを意識するようになります。
自分の気持ちはわかるが、他人の気持ちはわからない。このギャップが大き過ぎると、自己を護る自信が揺らいできます。この揺らぎが不安であります。
逆にギャップが小さいと、その揺らぎがほとんどありませんから、ものごとの輪郭が時間と共にどんどんはっきりと見えてきて、ますますはっきり見たいという気持ちになってきます。これが好奇心であります。
どうやら、気持ちと言うか、心の揺らぎの、程度の問題であることが解ってきました。
不確定性原理の中で、すべてのものは揺らいでいて、確定されているものはないと言うのがあります。
粒子一つを取ってみても、その粒子の方向や辿り着く位置を確定できないのです。
解りやすく言えば、人間の一生を宿命と取れば、それは本人が知っていなくても、一つの道が決まっていて、到着点も決まっていると考えざるを得ません。
しかし、不確定性原理が、人間の一生にも適応されているならば、何種類かの人生の辿る道の可能性の和−不確定性原理では、これを経路和と呼び、粒子が運動する可能性のある道を指し、それぞれの確率は計算出来、量子力学では、ここに虚数、複素数の概念を上手く使って計算する方法があって、シュレーディンガーの波動関数やファインマンの経路積分法と言うものがある−を運命と捉え、努力によって最善の道を選ぶことが出来る。
そして、そこから、人生のゴールの確率を推測することが出来ることになるのです。
それを、宿命に対する運命と言う言葉で表していると考えればいいわけです。
宿命は変えることが出来ないが、運命は努力(確率)によって変えることが出来る。
量子論の不確定性原理は、まさに人間の人生観においても、適応されると言っていいでしょう。
そうしますと、楽しい人生とは、揺らぎの少ない、つまり運命の実現確率が高い人生であり、それが好奇心を持った生き方になると思うのであります。
自分の最善な道を努力によって導き出し、その道からゴールに向かうのが、楽しい人生であるのです。