Chapter 17 楽しいと正しい

みなさんは、楽しいことをすることと、正しいことをすることと、どちらが自分にとって良いことだと思われるでしょうか。
ほとんどの方が、「もちろん、正しいことをすることだ」と建前では言われるでしょうが、本音のところでは、「そりゃ、楽しいことをしている方がいい」と思っておられるでしょう。
結論から申しますと、
楽しいと思ったらそれは正しいことであり、正しいと思ったらそれは楽しいことであります。
逆に言えば、
苦しいと思ったらそれは間違ったことであり、間違っていると思ったらそれは苦しいことであります。
形而上学の世界では、楽しい苦しいという観点よりも正しい間違いという観点に重点をおいてきました。特に宗教界においてはそうでした。
従って、禁欲主義がほとんどの宗教の教義に織り込まれてきたわけです。
そして、その反動でフリーセックスを標榜する宗教も生まれてくるといった、まさに悪循環に陥っているのが、新興宗教のみならず旧来の宗教の実態ではないでしょうか。
バチカンの大司教がホモを強制していた事件などは、その象徴のように思います。
再三申してきましたが、形而上学も形而下学もない。それは表裏一体のコインであり、コインの質が、表は金で裏は銀などと言ったら、それはすぐに剥げるメッキの紛いものであります。
金のコインなら表も裏も金であります。
鉛のコインなら表も裏も鉛であります。
わたしが主張して止まないのは、まず自分というコインがメッキのコインかどうかを見抜く眼力を持つ人間になること。
そしてその見抜く眼力を修得して、メッキであることが解ったら、すぐにその表面にへばりついているメッキを剥がすこと。
そこに至って、初めて自己の実体を知ることが出来るのです。
そして次のステップは錬金術を身につけること。
つまり、コインの質を向上する方法を学び、身につけること。
生きている人間が出来るのはそこまでであります。
他人のことを思いやる慈悲や愛の心を持てる人間になるには、以上のステップをマスターした人間でないと無理であります。
アインシュタインの相対論と量子論を統合する為には、量子論の不確定性原理を相対論に組み入れるしかないのと同じ理屈で、仮に相対論と量子論を統合する理論が構築されても、それは錬金術をマスター出来たレベルであります。
宇宙のすべてを知ることは、生きている人間には無理であります。
慈悲や愛などは、人知の及ばないものであることを、21世紀の人類は是非とも認識すべきであります。
それを可能にしてくれるのは、形而上学と形而下学の統合であります。
20世紀最大の発見が、相対論と不確定性原理であるならば、21世紀最大の課題は形而上学と形而下学の統合であります。
その時初めて、宗教の違いから殺し合いをしたり、差別をしてきた人類の罪が消えるのです。