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Chapter 18 相対の時代から絶対の時代へ 日本という国が、歴史上、世界の中で最も先進性を顕著に有していた時代は、1970年代から1980年代の20年間であります。 Japan as No.1と、いい加減な経済評論家から誉めそやされ、国民もその気になって、バブルに踊った時代であります。 明治時代の日露戦争に勝利した時も、同じ様相を国を挙げて呈していました。 しかし、その後にやって来た姿は見るべくもない悲惨なものでした。 一方、時間をずっと遡ってみますと、ローマ帝国が世界の中心で、ヨーロッパは僻地と見做されていた時代から、ローマ帝国の衰退と共に、僻地であるヨーロッパが台頭し始めた、いわゆる中世の時代、日本という国は混乱した戦国時代であったのですが、この時代の日本はいろいろな面で世界の最先端を行く国家でありました。 人口でもイギリスなどは、まだ500万人程度であったのですが、既に日本は3000万人を越す勢いでしたし、他のヨーロッパ諸国よりも、日本の人口が遥かに多かった時代であります。 その名残りが、それから4百年以上経った現在でも、統一後のドイツでも8000万人、フランスが6000万人、イギリスが5000万人と、未だに日本の後塵を拝しているのです。 その4百年間に、イギリスやフランスは80回以上の戦争をして、列強と呼ばれる先進国にのし上がり、国際色を強めることで、人口を飛躍的に増加したにも拘らずであります。 現在世界の人口は63億人と言われていますが、ねずみ講的増殖の道を歩んでいます。 毎年3000万人、人口増加しておるのですが、この要因の多くは、アフリカの未開発国で、先進国は減少の方向に転換しています。 本来、人口増加の要因は、文化・経済面で遅れたところに集中するのが常識でした。 それが、自然の摂理であり、食物連鎖はその法則に則した現象であったわけです。 しかし近代に入り、科学技術の発展で、この数百年は先進国家がその豊かさを以って人口を増大させてきたのであります。 21世紀に入り、その流れが、また本来の姿に戻ろうとしています。 つまり、先進国家の人口が減少し、未開発国の人口が増加する傾向になっているのです。 その中で、中国の台頭は、21世紀の世界を象徴しているようですが、その背景には10数億という、アメリカがいくら頑張って、数百年かかっても追いつけないであろう圧倒的な人口にあります。 理屈抜きに、この人口のパワーは世界を席捲するでしょう。 しかし、20世紀までの中国は人口が1億に満たないイギリスやフランスに支配されていたのです。 圧倒的人口が、そのパワーを発揮できない時代、すなわち相対的価値が優っていた時代であったのです。 わたしが、このChapterのタイトルを「相対の時代から絶対の時代へ」としたのは、人口問題を例にとって、新しい世界のパラダイムが今まさに産声をあげようとしていることを、お話したかったからであります。 地球という星の表面で生活している我々人類は、これからこの有限の地球表面において無限の円回帰運動、しかも猛烈な速度での円回帰運動の段階に突入したのであります。 すなわち高度情報化社会の出現によって、地球の表面積は、その相対性において、野球のスタジアム程度の拡がりしかないものになってしまいました。 有限な三次元空間で、果てしない激しい運動を、しかもそのスピードは時系列的に増していくことを続けていかなければならなくなっているのです。 これは、もしも神というものが、天地を創造したと言うならば、この有限の空間を、果てしなく運動するような事象をなぜつくったのでしょうか。 時間の矢が、ある一方向であるならば、この理屈は成立しそうであります。 つまり、心理的時間の矢は、過去から未来への一方通行、エントロピーの矢も同じ一方通行、そして宇宙の生成発展も膨張という一方通行であれば、運動は三角関数的に上がり下がりの繰り返しを永遠に続けていればいいわけです。 しかし、20世紀から21世紀へのバトンタッチという象徴的な時点で、宇宙は最終的には膨張から収縮に反転して、最後には崩壊してしまうものだという説が決定的になったのです。 そうしますと、以前にも申しましたように、哲学や宗教の世界、つまり形而上学世界も、従来の常識が覆される可能性が強くなってきたと思うのであります。 過去数百万年の人類の歴史においても、過去1万数千年の人間の歴史においても、すべての価値観は相対的なものでありました。 たとえば、女性の美的基準一つを取っても、イスラムの世界は肥満女性が、今でも美人の重要な要素であります。 この日本においては、腕も足もカマキリのような、その隙間から月見が出来そうな女性が美的感覚であるのです。 同じ時代においても、これだけ基準が違うのです。 しかし、人間にとって一番身近で、一番不透明な時間という概念の位置づけが変わって、絶対的な時間が登場してきますと、相対的価値観はすべて消えてなくなり、唯一神信仰と同じように、時間から派生した価値基準が絶対性を有するようになるのです。 21世紀は、人類にこの問題を投げかける決定的な世紀になるのではないかと、わたしは思うのであります。 |