Chapter 19 時間が顔を現す

我々が普段、考えている時間という観念は、心理的な時間の矢、つまり過去は思い出すことが出来ても、未来を思い出すことは出来ないものであります。
そして、その時間の矢が一方通行だけで、人間には、その時間の進む速度も、方向も制御不可能であるが故に、不安、悩みといった、唯一考えることが出来る人間だけが持つ生きる苦しみを、時間は与えてきました。
動物には、体内時計はありますが、時間の観念はありません。
それは、動物にも死はやって来るが、死の観念を持っていないのと同じことを意味しています。
神という概念は人間だけが持つもので、動物には無い。
時間の観念の有無。死の観念の有無。神という観念の有無。
人間がエデンの園という、自然と融合した世界から旅立った結果、生じた決定的な違いが、この点にあると、わたしは考えるのであります。
時間の矢が一方通行でなければ、後戻りすることも可能でしょう。
地球環境問題が大きくクローズアップされ出した20世紀後半から21世紀の課題は、今まで自分たち人間が犯してきた罪を反省して、美しかった地球に戻そうということでありますが、時間の矢が一方通行である限りは、いくら一所懸命標榜しても、エントロピーの時間の矢も同じでありますから、実現は不可能であると、残念ながら言わざるを得ません。
超長期的に考えれば、時間の矢は一方通行ではなさそうで、ある時期が来ると反転するらしい。
最近になって宇宙は膨張し続けるのではなく、ある時、膨張してきた時間と同じだけかかって今度は収縮した挙句、崩壊するという説が最有力になってきました。
その結果、他の時間の矢、すなわち、心理的な時間の矢、エントロピーの時間の矢も反転することも有り得るわけです。
しかし、地球環境問題が深刻になっている現在、時間の矢の反転による回復は不可能であります。
だからと言って、何も対策を打たずに、そのままにしておくわけにはいかないわけで、この問題は極めて難儀なものであります。
「神の自叙伝」で、21世紀は、人間は月に移住する世紀になると申しました理由がここにあるわけです。
過去、半世紀に一度のサイクルで、地球は大掃除をして来ました。
戦争によって人口のバランスを保ってきたのは、人為的に見えても、広義では食物連鎖の一環だと、申してきましたのも、地球の大掃除だと言う観点からであります。
我々が直面している問題も、現在が一番エポックメーキングな時代だと錯覚する人間の傲慢さであるならば、もうそろそろ次の地球の大掃除がやって来てもおかしくない時期であります。
この判断が非常に難しい。
従来のコンセプトでは予測不可能な、新しいパラダイムが登場するであろうことは、過去の人間の歴史においても、再三起こってきたわけですから、容易に想像できます。
単なるパラダイムの変化と見るか、すべての旧来の概念がどんでん返しになると見るか、わたしは正直申しまして解りません。
ただ先に申しました、時間の観念の有無。死の観念の有無。神という観念の有無。これらが、どうやら同じ意味でありながら、人間は、死の観念、神の観念は持っていたが、時間の観念は残念ながら具体的に持っていなかったのではないでしょうか。
それが、いよいよ持たざるを得ない状況になってきたと言っていいでしょう。
遂に、時間という正体不明のものがその顔を現して来たのです。