Chapter 21 瞬間を体感する

我々が生きているのは四次元時空の世界であります。
しかし、認識出来るのは、時空間というケーキを時刻というナイフで切った三次元空間までであります。
時間の流れに沿って空間が変化しているわけですが、それを体感することは出来ません。
つまり、四次元の時空の世界に実際に存在(実在・実存)しているのですが、体感出来ているのは、切り口の三次元空間であります。
これを、わたし流に表現すれば、実存は四次元時空の世界だが、実在は三次元空間であります。
従って、実在と実存の違いは、時間という一次元要因が加わっているか、いないかの違いであります。
哲学の世界では、実在と実存は同義語となって、共にExistenceという言葉ですが、それならなぜ実在と実存の二つの言葉があるのでしょうか。
実際に存在する。存在の存を採ると実存、在を採ると実在。
英語ではExistence。
言葉というものは、難しいものであります。
Realityと言う言葉があります。意味はやはり実在ですが、それ以外に、現実、事実、実物という意味もあります。
Substantialityと言う言葉があります。意味はやはり実在ですが、それ以外に実質という意味もあります。
Actualityと言う言葉があります。意味はやはり実在ですが、この場合の実在は現象的実在であり、現実性とも言います。
Entityと言う言葉があります。意味はやはり実在ですが、存在と言う意味もあります。存在とは一般にBeingと言う言葉が代表的であります。
これらの実在という言葉にも微妙な違いがあることがわかってきます。
RealityはStationary(動かない、静止した、止まっている、という意味)
SubstantialityはConcept若しくはImage。
ActualityもConcept若しくはImage。
EntityはStationary。
つまり、実在と言っても、実際に存在するものがStationaryであり、概念だけで、実際に存在し得ないものを、Concept若しくはImageというわけで、二つの実在(実存)があるわけで、それを代表して、Existenceと言っているわけです。
学問の哲学と言うのが、一般の人間から敬遠されるのは、こういった言葉の定義が、極めて理解し難いからであるようです。
だから、わたしは実在と実存をはっきり区分けしているのです。
実在とは、時が止まっているこの瞬間に実際に存在する三次元立体としての実物。
実存とは、時の流れ全体を俯瞰したもので、これは概念であって実際には存在していない。
従って、実在とは、この瞬間という実態のある場の三次元空間であり、実存とは、時間の流れ全体の中に組み込まれた三次元空間であり、それは我々には所詮、概念でしかありません。
わたしがしつこいほどに、この瞬間を如何に体感できるかという点を強調するのは、我々は現に肉体を持って生きているのですから、概念に振りまわされてはいけないと思うからであります。
この瞬間を体感する。
すなわち時間の流れを止めるには、どうしたらいいのか。
あなたは、車が走っているのを見る。その時、車の中に乗っている者も走って見える。
しかし、あなたがその車の中に乗ると、あなたは止まって見える。
動いているとは、時間の流れに流されていることです。
従って、時間を止めるには、時間という車に同乗すればいいわけです。
時間という車を外から眺めていたら、時間は流れていきます。
時間と共に居ることです。
それは、神はすぐ傍にいることに他ならないのです。