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Chapter 26 昼と夜 今は夏です。 大体、午前5時前後に太陽が昇ってきて夜明けが始まります。 そして夜明けから、完全に太陽の姿が空に出て陽の光りが射し始める大体6時半までの1時間半を朝と言います。 それ以後は昼となります。 みなさんは、朝を午前9時ぐらいまでと思っておられるのではないでしょうか。もうその頃はとうに昼になっているのです。 従って、午前5時前後から6時半までに起きないと朝に起きたとは言えません。 また午後5五時半頃から日暮れが始まります。そして午後7時頃には完全に太陽の姿が隠れて暗くなります。この間を夕方と言い、それ以後を夜と言うのです。 そしてその間を昼間と言います。 今は夏ですが、これが冬になると、朝は午前7時前後から8時半ぐらいまで。 夕方は午後5時頃から6時ぐらいまで。6時以後が夜となります。 電気が発見され、電灯が発明されたおよそ100年前までは、夜とは寝る時間であって、みんな早くから床に就いていたのです。 そして朝とはベッドから起きることであり、みんな早く起きていたのです。 ところが、現代社会になって、現代科学文明が発達している国からこのリズムが変わり始めました。 その証拠に、宇宙衛星から地球の明暗を区分けしますと、東京やニューヨーク、ラスベガスは一日24時間中、明るく光っているのです。 アフリカなどは、今でもほとんどの場所が夜になると真っ暗であります。 日本でも、半世紀前までは、一般家庭でも夜になると床に就いていました。 現代世界の一日の生活パターンが定着したきっかけは、やはり電気の発見による、電灯の発明でしょう。 そして、その後にラジオ、テレビが出現して、人間生活のリズムが完全に狂ってしまいました。 朝も昼間も夕方も夜も、その区分けがなくなってしまったわけです。 人間の平均寿命が80才を超え、かつて人生50年と言われていた時代から、30年も延びたと思われているでしょうが、果たして実質上そうでしょうか。 人生50年の時代の一生が80年に間延びしただけであると、わたしは捉えています。 特に、生まれてから20年、そして死ぬまでの20年、つまり80才の人生の中で20才までと、60才から80才までの人生は、人生50年の時代のその年代の充実感に比べて半減しているのではないでしょうか。 人生50年でありますから、六十代から八十代は無いわけで比較のしようがありませんが、十代は明らかに、人生50年の時代の十代の方が遥かに中身の充実したものであったことは間違いないでしょう。 青少年・高齢者犯罪の増加、青少年の冷めた人生観、高齢者の介護人生の空しさなどは、結局の処、知ることによる不幸を増殖させた結果であり、知らずに済む幸福を破壊してきたのは、電気文明による、電灯、ラジオ、テレビの出現であることは間違いないでしょう。 80年の人生に延びたが、幸福感は返って減り、先に述べた、最初の20年、最後の20年は、苦悩の40年だと言ってもいいのではないでしょうか。 もちろん、その時代を溌剌と生きている方々もいるでしょうが、極めて稀なケースであると思います。いや、そんなケースはやはりないでしょう。 そんな方々は、逆にその間の二十代から五十代の人生が空しいものであった可能性が大だと思います。 昼、夜のリズムは、地球の自転、太陽の周りを公転することの中で、自然につくられたものであって、人間の都合でつくられたものではないのです。 そのリズムとは運動(活動)のリズムであって、やはり波動のリズムであるのです。 山あり、谷ありの繰り返しであるわけです。 夜になるということは、太陽からの距離が長くなることであり、それだけ太陽の引力の影響が小さくなる、また太陽から与えられているエネルギーが減少するわけですから、活動も静止状態になるのが自然であります−中には逆に、静止状態を狙って活動を開始する変な類も出てきますが、これは変な類です−。 そうしますと、昼間が活動の活発な期間、夜が活動を静止する期間で、朝と夕方がそのギヤーシフトの間のニュートラルな期間であるのが、一日の正しい形態であり、肉体・精神状態にとっても最も良いリズムであるでしょう。 この一日のリズムを守ることから、先ず始めなければなりません。 |