Chapter 30 時間が傍にいる

朝と夕方は、昼と夜という二元論的には活動と非活動の繰り返し過程の中でのギアーシフトする為のニュートラルポイントだとお話してきました。
そしてその時間は一日24時間の内のおよそ3時間だと申しましたが、これまでの話がいわゆる総論的でありましたから、およそでも良かったのですが、これからお話するのは、もっとブレークダウンしてより具体的、各論的なものに展開しなければなりません。
従って、朝・夕方をもう少し正確に考えていきたいと思います。
世界中どこでも一年を春夏秋冬の四季に分けていますが、もう少し地球と太陽の相対関係に注目してみますと、太陽の軌道である黄道の出発点つまり黄径0度を春、それから90度毎に夏、黄径180度を秋、270度を冬、そして360度つまり元の点に回帰して再び春だということになり、やはり太陽との位置関係に深く関わっているわけです。
そうしますと、朝、夕方が常にきっちり1時間半ではなく、太陽の位置関係で変化している。
そこで朝と夕方の時間にも、「神の自叙伝」改正編第二章の「七の法則」がここでも働いていると考えられるのです。
朝と夕方のおよそ3時間は、一日24時間の厳密にはやはり七分の一であると考えられます。
現に、春分、秋分では昼と夜の時間が同じで、冬至は昼が一番短く、夏至は夜が一番短いのですから、その時期によって朝と夕方の時間は増減してきっちり3時間ではなく、およそであるわけです。
日食、月食についてもお話をしましたが、皆既月食などは最大で1時間53分も続いている場合もあるのです。
要は朝と夕方というニュートラルポイントの時間が一日の七分の一で、そこに七の法則が働いていると言いたいわけです。
聖書では、すべての事象を七つに分けています。
天地創造されたのも一の日から七の日までで為されている。
6日働いて1日休む。土地も6年耕して1年休耕する。
といった具合であります。
すべての事象を7等分してその内の一つを休息に当てる考え方であります。
1週間の内で1日休みを取るのは、全世界いろいろな宗教があってもみんな同じであります。
キリスト教世界では日曜日が、ユダヤ教では土曜日、イスラム教では金曜日と、何かお互いに意識して別の曜日を安息の日にした感は否めませんが、7日の内で1日の安息日は変わらないのです。
「神の自叙伝」で、世界のほとんどの国で週に2日休むようになっていますが、それを土曜日・日曜日と続けるのは自然のリズムには適さない、日曜日と水曜日が一番適っていると、強調しています理由が、この朝と夕方のリズムにあるのです。
一年で言えば、冬が夜で、春が朝で、夏が昼で、秋が夕方と考えていいのではないでしょうか。
そうすれば、やはり1週間の中では土曜日の午後から日曜日の午前までを休みとし、水曜日の午後から木曜日の午前をもう一つの休みとするのが、一番自然の理に適っていると思うのです。
まさに、朝と夕方のニュートラルポイントであります。
ここで、誤解されたら困るので、敢えて一言申しますが、夜の静止期間は休息の期間ではありません。
活動に対しての非活動であって、物質に対する反物質と同じ考え方で、反物質の世界から見たら、物質は反物質であるわけです。
従って、活動と非活動の本質は同じであって、昼と夜の本質は同じであります。
地球上のある地域で夜であっても、反対側では昼であるのです。
朝と夕方とは、根本的に次元の違う話であることを、十分把握しておいて頂きたいと思います。
そこで、このChapterのテーマであります、「時間はすぐ傍」でありますが、時間を一番意識しているのが、この朝と夕方の時であるのです。
卑近な例を挙げますと、この数日、わたしが朝と夕方について論及してきたわけですが、その間、わたしは部屋から朝の変化を常に時計を見ながら観察してきました。
「いつ頃から明るくなりだすだろうか」と、時計と暗い空とを相手に睨めっこし、「いつ頃から暗くなり初めて、何時に真っ暗になるだろうか」と、また時計と空とを相手に睨めっこして来たのです。
そうしますと、実に時間が経つのを遅く感じるのです。
つまり時間を意識しているわけです。
わたしの場合は、特にその時間帯に観察をしていたのですから、当然時間への意識は強くなります。
しかし、よくよく考えて見ますと、惰眠を貪っているみなさんでも、太陽が顔を出し始めたら、眠りの中でも時間を強く意識していることを知らねばなりません。
普通、その時間帯に眠っていても、一サイクルの夢−1時間熟睡して半時間REM睡眠という夢を見る睡眠サイクル−のクライマックスに差し掛かっています。
しかも、前夜の何時に眠りに入っても、太陽が顔を出し始めたら目を醒ませて夢の続きを見るか、そのまま引き続き眠りの中で記憶になくても、夢のクライマックスに差し掛かっているか、どちらかであるのです。
それは太陽の重力の影響が強くなることに因るものです。
眠りと重力とは深い関係があります。
眠りに就く時、横になるのは地球の重力を体全体に受けることで重力の影響を増幅しているからなのです。つまり重力を強く受けると眠り易いということであります。
立っている時は表面積の少ない足の裏にしか地球の重力が掛からないから、眠気をもよおさない。だから横になるのです。
我々地球上にいるすべてのものは常に地球の重力を受けています。
そこに太陽が顔を出してくるということは、太陽の重力の影響で、地球の重力が相殺されて軽減するということなのです。
従って、朝になると、眠りから醒め易い状態になっている、つまり夢の最終段階に入り、そこから目を醒ますわけです。
そして、眠りの中の夢から、覚めている中での夢へバトンタッチされるのを観察出来る絶好の機会であるのです。
それを、惰眠つまり無理やり眠るのですから惰眠となるのです。
結局の処、朝−一般に言う朝ではなく、ここで言っている朝のことです−に目を醒ますということは、意識をも覚醒させてくれるほど大事な時間帯であるのです。
夕方の時間帯は、朝の状態をそっくりひっくり返したことだと理解して頂ければ良いと思います。
だから夜になると、ベッドに就くのが当たり前であるのですが、それを下らないテレビなどを見ることは、まさに惰眠の中で、人工的な悪夢ばかりに混乱される状態の意識になるのです。
一週間の内の、安息の日が非常に大切なように、一日の内の、安息の時間帯である朝と夕方もとても大切であるのです。
重力の変化が起きることによって、澄んだ意識の状態に最も入り易い朝と夕方を如何に大事に生きるか。
それが出来た時、神である時間がすぐ傍にいてくれていることが実感出来るのです。