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Chapter 35 固定観念 人間というものは、歳を取れば取るだけ、体も心も硬くなっていくようです。 その最大の理由は自己保身の意識が、どんどん強くなっていくからであります。 敵がいると、人間は自分を護るために構えます。 構えると、心身共に硬くなってしまいます。 戦士の行進を見ていますと、まるでがちがちの人形が行進するように、みんな整然と一体化していますが、あの姿勢は敵から身を護るためであります。 一方、自然は、常に変化しながら流れていきます。 自然と人間が戦っても人間には勝ち目はありません。唯一、自然の流れに合わせるしか道はないのです。 生と死。 生きるということは、動いている−運動している−ことであり、運動しているということは常に流れていくことですから、川の流れの水のように柔らかくなくてはなりません。 死ぬということは、動きが止まる−運動しなくなる−ことであり、水の流れが止まるわけですから、澱んで硬くなるのです。生き物が死ぬと硬直化していくのは、流れという運動が止まるからであります。 従って、考えや想いというものも、実はころころ変化するのが当たり前のことで、変わることは生きている証であるのですが、人間は愚かで、すぐに固定観念を持ってしまうのです。 その原因は、やはり自己保身が原点にあることを忘れてはなりません。 宗教の矛盾は、自己からの解放(解脱)がその目的であるはずなのに、結果は自己を縛りつけ、教団からの締めつけもあり、自縄自縛のみならず、他縄他縛に陥った人たちの集団と化して、自分たちの教義以外を排斥しようとします。 それが嵩じていきますと、殺し合いにまで発展してゆくのです。 固定観念の恐ろしさは、この落とし穴の深さにあります。 この深い落とし穴に落ちてしまう原因は、まず若い頃から自身のまわりの家庭環境によって、固定観念を植えつけられることが最も多いようです。 これが原因で、その環境にいることがごく自然になり、自らも進んでその環境に馴染んでいるのです。 宗教の恐ろしさは、その伝染性にあります。 わたしは、日曜日に近所を車で走りますと、二つの宗教団体の支部があって、毎週何をしているのか知りませんが、多くの人たちが集まっている様子を見ます。 両方共、多くの子供を連れている親の姿を見かけます。 小さな子供が、宗教の良し悪しを判断できるはずがありません。 この光景を見る度に、善意の罪を感じざるを得ないのです。 宗教の伝染性は、新興宗教だけではなくて、旧来の宗教も強く持っています。 共産主義思想は、宗教を麻薬だと斬って捨てましが、これはまんざら荒唐無稽な発想ではありません。 確かに、真理の一面を突いていると、この子供たちを見て、わたしは思うのであります。 こういった子供たちが、そのまま育っていきますと、植えつけた親よりも数倍の強さの固定観念にはまってしまい、まるで強烈な幼児体験者のようになってしまうのです。 病気というものは、その原因が発生してから、発病するまでの時間が長ければ長いほど、治癒するのも時間が掛かります。 幼児体験は、その人の一生に大きく、その影を投げ続けます。 固定観念というものが生まれる、そのメカニズムは時間と関係があります。 時間というものは、両刃の剣だと申しました。 使い方によっては、自己の大いなる成長に役立ってくれるが、使い方を間違えたら、身の破滅をも招きかねない危険な面も持ち合わせています。 異常な幼児体験を持った人というのは、この時間を、間違った使い方をした結果であり、しかも短期間の間に生命エネルギーの強烈なエントロピー化が一気に起こったものであるのです。 川はゆったりと流れると大きな波は生じません。 流れが急になると大きな波が生じます。 では何故流れが急になるのか。水は高い処から低い処へ流れていきますが、その落差が大きくなると、流れは速くなります。特に急激な落差があると、急流が発生します。すなわち自然で言えば、滝のあるような処でしょう。 この滝が、誕生したての川に発生したのが、幼児体験であり、流れは最初から速く急なものとなっていて、それが普通のものだと思ってしまっているのです。 川の誕生は、一滴の水から始まります。 一滴の水が間断なく地面に落ちていくことによって、流れが生じて川になるのですから、本来は一滴一滴がゆったりと合流して流れをつくっていくのが子供の頃の有り方なのです。 どんな川でも、時には落差の激しい処に遭遇して、急な流れになる時があるのが必然で、逆に、それが歳を重ねても無いならば、最後に川が大海に流れ出る処で、一挙に落差−川が誕生した処と大海に出る処との間の海抜差−を解消するしかないわけです。 それが最後に大海に流れ出るという死の場面においての地獄というものの実体であります。 固定観念とは、長い人生の中で、川の落差が大きい処で、流れが急になる。 その時の記憶であるのです。 幼児体験とは、強烈な固定観念であります。 固定観念の生じない人生を送れることが、一番良いのですが、川自体が落差によって誕生するのですから、必ず流れが急になる処があるわけで、知らず知らずのうちに落差を解消している雄大な川のように生きることが出来れば最高の人生ではないでしょうか。 固定観念を持つということは、流れが速くなったり、遅くなったりすることによって生じる、心の垢であり、それは時間の流れが急に変化した時に起こることを忘れないでください。 |