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Chapter 37 寿命というもの 日本人の平均寿命は80才を超えました。 従って、寿命とは時間であるわけで、いろいろな時間要因が交錯して決まるのです。 まず我々は地球上に存在していますが、存在しているというより、地球という星の一部だと考えた方がいいのではないでしょうか。 地球の恩恵なしでは生きてゆけないのだから、地球から切り離されたら存在は許されないものだと考えるべきです。 食物連鎖を考えてみれば、それは確かなものと言えるはずであります。 我々が生きる為に、動物、植物、鉱物がなければなりません。 そして我々の肉体も、他の動物、植物、鉱物にとって欠かすことのできないものです。 我々人間が死んだら、土葬であっても火葬であっても、灰という鉱物に変わります。 灰は石灰質の粉で、正式名はCaCo3炭酸化カルシゥムと呼ばれている有機化合物−有機化合物とは炭素Cを含む化合物のこと−で、いわゆるいろいろな堆積岩の基となる化合物で、その記号の通り、炭素、酸素、カルシゥムでできています。 つまり人間が死ぬと、炭素、酸素、カルシゥムに分解されるわけです。 炭素は原子番号6番の原子ですから、原子核のまわりを回る電子の数は6個です。酸素は原子番号8番だから電子の数は8個、カルシゥムは原子番号20番だから電子の数は20個です。 人間という有機物の機能が消滅することが人間の死であるわけで、地球上の物質としては、食物連鎖の一環として依然、電子が原子核のまわりをぐるぐる回っているのだから、物質としての機能の死は無いわけです。 従って、肉体を構成している物質の死は無いことがはっきりしています。 それでは、我々人間が最も関心のある魂の死はあるのかどうか。 想いや心は脳の働きに依るものという科学者の考えでは、魂も脳からの発信であり、脳という細胞が死んで、灰になるなら、やはり魂も有機物であり、その魂という機能はなくなるが、有機化合物としては生きていることになります。従って、魂の不滅は無いということになります。 そういう観点からすれば、輪廻転生という概念も見直す必要が出てきます。 ただ、宗教者たちは、魂は肉体つまり脳の働きではなくて、肉体の上に、エーテル体、アストラル体、コーザル体・・・などの精神性の高い体が重なっていて、それが魂であるという説を取っているようですが、そんなものは、誰も見たことがありません。 結局の処、死んだことの無い人間には、死んだ後のことは解らないし、死んだ人間は、その経験を生きている人間にはっきりと伝えることが出来ないのですから、そのような論議をすることがナンセンスだと言う結論になります。 従って、人間が死ぬと肉体も精神もすべて有機化合物の灰になるとだけ言っておきましょう。 この灰が、鉄やリンと一緒になると植物の肥料(食べ物)となり、植物が成長し、その植物を草食動物が食べ、草食動物を肉食動物が食べ、人間が植物と動物を食べ、元に戻ってくるのが食物連鎖です。 そうすると、地球上にある限りは人間といえども死は無いと考えられるわけであり、あくまで地球の位相の変化でしかないわけです。 従って、人間の寿命は、地球全体の位相変化によって定められていると考えられ、地球という星も生き物であって、その肉体の一部が人間であるから、人間の寿命も地球に依存しているのです。 いくら人間の寿命が長くなっても、地球という肉体に異変が起きたら、簡単に人間の寿命など変わってしまうのです。 現に、アフリカの人達の寿命は長くなるどころか短くなっているのです。 それはアフリカという地球の肉体の一部が異常をきたしているからであります。 地球という肉体の一部が異常をきたしたら、他の部分も影響を受けます。 要するに、人間の寿命といっても、人間だけが長く生きるわけにはいかない。結局は地球そのものが健康でなければ意味がないわけです。 そして地球の寿命は、他の星とは違うのです。 わたしが、他の惑星に人間が住むことになると、人間の寿命もその惑星の寿命に依存することになると強調している所以がここにあります。 そして、星の寿命は、星の重さに関係している、すなわち回転運動の速さに関係するから、それぞれの惑星の公転周期と自転周期の関係に、人間の寿命も影響を受けることになるのです。 星自体の寿命は、赤色巨星から白色矮星、中性子星(ブラックホール)という経過を辿って死んでいきます。 つまり重くなればなるほど死に近づくのです。 21世紀は、人間の寿命だけ捉えて論議する時代ではなくなりました。 星を単位に考える時代に入ったと言っていいでしょう。 |