Chapter 39 宇宙の一生と人間の一生

人間の肉体が、どうして小宇宙と言われているのでしょうか。
もちろん、奇跡とも言える、その複雑でしかも精妙にできている肉体故でしょうが、わたしは別の切り口で説明出来るのではないかと思うのです。
宇宙は、そっくりそのまま人間に凝縮されているのではないか。
それなら、宇宙150億年の歴史は、人間の一生の歴史に凝縮されているはずだと考えていいのではないかと思うのです。
わたしは、人間を特別な存在として捉えて言っているのではありません。
ごきぶりであっても同じであって、ごきぶりの一生の歴史は、そっくりそのまま宇宙の一生の歴史に凝縮されていると言っているのです。
人間が、その母親の胎内で十月十日いる間に、生命体の進化過程を単細胞生物から人間まで辿るのは、受精され誕生した新たな生命の最初の細胞のDNAに、生命体の一生の情報が組み込まれているからに他ならないからです。
ごきぶりがその新しい命として卵を産み落した際にも、それが孵化すまでの過程において、やはり単細胞の生命体からごきぶりに至る進化過程の情報が組み込まれているはずだと思うのです。
従って、時間というものも、宇宙の一生の歴史を知り、人間の一生の歴史を知ることで解明されることが可能ではないかと思うのです。
宇宙の年齢150億年や、太陽の年齢50億年、地球の年齢46億年は、我々人間の年齢数十年から想像することは不可能のように思えます。
しかし、この数十年の年齢を重ねて来た人間一人一人の歴史が、宇宙の歴史を充分に想像出来るに値するものであるはずだと考えてみると、150億年という気の遠くなるような時間の感覚も、具体的に把握出来るのではないかと思うのであります。
そうすれば、1億年も1年も1日も1秒も、すべてこの瞬間に凝縮出来るのではないか、そして凝縮された感覚を得た時、時間のすべてが目の前に顕れ、神が実は自分のすぐ傍にいてくれたことを認識できるのではないかと考えるのです。
釈尊が、「すべてのものが既に自分に具わっていたことが解った。ただそれだけのことだった」と、悟りの真の意味を表現したのも、人間は、神がすぐ傍にいてくれていることに気づいていないだけで、気づくことがすべてであると言っているのと同じではないでしょうか。
そうしますと、我々人間の一生を紐解いてみれば、宇宙のことも解るはずであります。
人間の一生を誕生、幼年、少年、青年、壮年、老年、そして死という過程と考えれば、一生を80年として、幼年が5才まで、少年が15才まで、青年が30才まで、壮年が50才まで、老年が80才まで、そして死への準備期間と区分けして生きてみて、宇宙の一生の過程と比較してみれば興味あることがわかってくるのです。
現在の宇宙の年齢は150億才でありますが、まだ膨張段階であり、あと50億年ほどで、膨張が収縮に転じると考えられます。
太陽があと50億年でブラックホールになって星の死を迎えるのではないかと言われています。
従って、地球も他の太陽系惑星の内、火星まではブラックホールになった太陽に吸い込まれて太陽と一緒に星の死を迎えるのではないかと考えられています。
そうしますと、宇宙の半生が200億年となり、一生は400億年になります。
誕生が150億年前のビッグバン、幼年期がそれから25億年まで、少年期が75億年まで、青年期が150億年、壮年期が250億年、老年期が400億年、そして死を迎えると考えられます。
まさに、我々が生きている宇宙は青年期の終焉を迎えて壮年期に入ろうとしている時期だと考えていいでしょう。
この壮年期が100億年続くわけですが、そのちょうど真中で膨張から収縮に反転することになります。
我々の時間の矢の常識は、まだ50億年は続きますが、その後、収縮期に転じることによって、時間の矢の方向も反転します。
つまり、過去から未来へと進む時間が、未来から過去へと反転する。
再使用不可能なエントロピーが使用可能なエネルギーに反転することになります。
これは一体何を示唆しているのでしょうか。
物質に対する反物質の概念が、現実化していくことになるでしょう。
物質の世界から反物質の世界へ。
それがあと50億年後に起きると予想される。
太陽の重さが現在の3倍になってブラックホールになり、死を迎えるのが50億年後と予想されるのは以上の根拠からであります。
ちょうど、我々太陽系惑星群は、人間の年齢で言うと、30才を迎えた時期だと考えたらいいでしょう。