Chapter 5 ミクロとマクロは反物質関係

20世紀に入って、アインシュタインの相対論がマクロの世界の探求であったのに対し、量子論はミクロの世界の探求でした。
ニュートンが形而上学的見地から、数学や物理学の画期的な発見をして、まずマクロの世界の法則をどんどん発見し、論理的に解明していきました。
しかし、アインシュタインは、ニュートンのマクロ的展開の中に時空の世界の定義が欠落していることを発見指摘しました。
つまりニュートンにとっては、空間はさておいても、時間の概念に関しては絶対的なものと位置づけていました。
しかし、アインシュタインは禁足地である、時間の世界に足を踏み込んだのです。
その結果、時間は普遍的なものではなく、相対的なものであるとして,ニュートン学問の世界は、限られた宇宙にしか適応されないと指摘しました。
確かに、宇宙の動きを観察してみると、アインシュタインの理論が正しいことが解ります。
しかし、And so what?(それが、どうした?)であります。
我々人間が生きていく中で、ニュートン理論で充分に間にあっており、また非常に有益であります。
確かに、宇宙の果ての果てはどうなっているのかを知りたい好奇心旺盛な人にとっては、アインシュタインの理論は必要であり役に立つでしょう。
しかしその結果、人間の心に、ミクロの世界の探求心を芽生えさせたのです。
それが量子論となって発展してゆき、不確定性原理がアインシュタインの理論を覆してしまうのです。
そして挙句の果てが原子爆弾の誕生であります。
ニュートンは太陽がどんな活動をしているのか、そんなことには関心はなかった。人間に関わる事象に興味があったのです。それはニュートンが書いた「プリンキピア」という本が物理学書でも数学書でもないことに表れています。
どうやら、人間は真理を発見すると、それを悪用する方に知恵を出す生き物のようです。
他の生き物は、自然の摂理や真理と融合した生き方をするものですが、どうして人間だけが、科学と称して悪の道に真理を利用するのでしょうか。
アインシュタイン自身が悪用したわけではありませんが、結果的には彼の発見した理論は、一般人間にとっては悪魔の理論だと言われても仕方ないでしょう。
一般人間にとっては、ニュートンが発見してくれた理論の方が遥かに有益であります。
現代科学はマクロの世界とミクロの世界を統一する理論を集大成しようと、やっきになっております。
もし統一理論が完成したら−多分このままではあと10年の内に完成するでしょう−、原爆もかすんでしまうような、恐ろしい化け物が雨後の竹の子のように登場してくるでしょう。
それに加担した科学者は名誉だけを勝ち得て、そのお陰で地獄に叩き落とされる人間のことなど、我関せず高を括っていることでしょう。
アインシュタインはさすがに、自分の理論で作られた原爆が日本に落とされたことを知ってショックを受けたようですが、あの原爆が日本ではなくてドイツに落とされていたら、どういう態度をしていたであろうか、興味津々であります。
反物質には対消滅という原理が働きます。
あなたが正のあなたなら、どこかに負のあなたが存在します。それを反物質と言います。
正のあなたと負のあなたが握手すると、消滅して光に変わります。
これを対消滅と言います。
マクロの探求とミクロの探求は反物質の関係と同じであります。
マクロとミクロが握手すると対消滅することを、科学者は認識すべきではないでしょうか。
そのことに警鐘を鳴らしているのが時間ではないでしょうか。
「2001年宇宙の旅」という映画が今から35年前につくられました。
その映画の最後で、主人公の宇宙船・船長がブラックホールに飲み込まれていく場面があります。
そして、赤ん坊の頃の過去と、何百才もなった未来の、両方の自分と出会います。
つまり光を超える速度で宇宙空間を移動したらこうなるということを示唆しているのですが、それを可能にしてくれたのが、偶然発見したモノリスという、
磁気単極子(現在ではモノポールと呼ばれていますが)という反物質でした。
ニュートリノの質量の有無と共に、モノポールという反物質の発見は、21世紀最大の宇宙論の課題であるのです。