Chapter 6 時間が光の産みの親

人類が、二本足動物になって最初に自己の力で知ったつまり知性で得たことは、光でした。
そして陽が昇って明るくなって朝になり、陽が沈んで暗くなって夜になることは光の存在によるもので、天空にある太陽や他の星からの光であることを知りました。
ここが他の動物との決定的違いであったわけです。
しかし、まだその頃は人類といえども時間という概念は持っていなかったのです。
時間の概念を持つとは、太陽が昇ってそして沈んでまた昇るまでを一回帰と理解し、それが一日であると認識することであります。
この認識をするのは、人類の夜明けと共に知ったようです。
聖書で言えば、アダムとイヴのエデンの園からの追放が人類の夜明けであったのでしょう。
そして、その時から陽が昇り、沈むことが一日のシグナルであると認識したのです。
従って、陽が人類にとって人知を超えたものと思えたのは当然の結果で、そこから光信仰が誕生したのであろうことは容易に予想されます。
一日の概念の認識を、人類は極めて早い時期にしたのです。
しかし、太陽の周りを地球が回っていること、つまり地動説を知るに至ったのは、ほんの数百年前のことです。
それなら、一年という概念は一体いつ生まれたのか。
理屈から考えれば地動説が認められた時からであるはずですが、実は暦というのは、遥か昔から各地で誕生していました。
従って一年の概念は暦が誕生した時期だと考えられます。
世界で一番古い暦は紀元前7世紀にエジプトやシリアで、太陽と月の満ち欠けの周期から太陰太陽暦ができていたようで、やはり星の観察からであったわけです。
従って、一日の認識は数百万年前にされていたのに、一年の認識はたかだか数千年前であるのです。
実は人間は過去において大きな間違いを起こしていたのです。
聖書に「はじめに言葉ありき」とあるように、天地の始まりは言葉つまり光だと思ったことであります。
光信仰は、天地創造の始まりが光だと言う観点から興ったものだと想像されますが、物理学的見地から考えれば、光の位置づけは、前Chapterでお話しましたように、物質と反物質との衝突によって起こる対消滅の結果生じるものであることは明確であり、宇宙の始まりの際にX粒子という素粒子の物質(正物質)と反物質がたくさんでき、それらが衝突して対消滅の結果光が誕生したのです。
そしてその結果、我々が住む宇宙には正物質ばかりで反物質が存在しなくなったのですが、その理由は説明がもっと厄介なので省略します。
ただわたしが申したいことは、X粒子の正物質と反物質が衝突して対消滅の結果、光が生じたのは、前述した、ただ一つの力から重力が枝分かれした、宇宙が始まってから10の36乗分の1秒後の出来事であったということであります。
従って、「はじめに言葉(光)ありき」ではないのです。
宇宙が始まって10の36乗分の1秒がキーワードであります。
21世紀はナノ世界(10億分の1秒)に突入していくと言われている昨今ですが、ナノなど10の9乗分の1秒程度のもので、まだまだ人間の知性は宇宙を解明するには、ほど遠い処にいるのです。