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第四章 若者の変貌期 正一はこの数週間で明らかに変貌していった。 子供の頃には少なからず夢や理想というものがある。その背景には一番インパクトの強かった幼児体験が影響している。特に思い通りにならなかった苦い経験が、その夢の発生原因になっている。 終戦直後の日本人の子供たちが憧れた職業に警察官がある。 戦前は軍人だ。 当時、軍人や警察官というものは権力の象徴であり、一般大衆は怖れと、そのパワーに一種の憧れを潜在的に持っていた。 微妙に察知した子供たちは、そういう職業に憧れを持ち、将来の理想像としての夢になっていった。 「夢」というのは現実に実現できなかったことや、できそうもないことを、夢の中だけで擬似体験させる特性を持っているのだ。 人間のみならず、他の動物も眠っている時、夢を見るが、やはり現実世界で実現できないことをカバーしようと夢の世界にあらわれる。 夢というものの実体は、人間が実体と思っている現実世界の裏の部分なのである。 だから子供の頃に持つ理想という夢は、ネガティブな幼児体験がその背景にある。 現代の子供たちには、将来に対する理想という夢が少なくなってきている。その理由はネガティブな幼児体験をしていないからだ。 しかし、自然の摂理というものは当意即妙で、ネガティブな体験が少なくなると、そのネガティブな幼児体験の少なさ自体をネガティブな幼児体験にしてしまう。 自分のことや、自分の身近にしか関心をもたず、世間や社会に対する無関心さは、このネガティブな幼児体験欠乏症が原因なのである。 昔の諺に「若いうちに苦労をせよ」というのがあるが、現代日本においては完全に死語になってしまった。 若いうちの苦労は、まさにネガティブな幼児体験なのである。 現代の諺は、「嫌なことはするな」だ。 だから、不登校の子供が大量に発生する。 「嫌なことはするな」が当然と思っている現代の子供は、学校に行くことは無意識下で「嫌なこと」のカテゴリーに入っているから、何かのきっかけがあると表面化して心身の不調という形になり、結局、不登校という行動になってしまうのは当然の成り行きである。 「若いうちに苦労せよ」が体にしみついていたら、「嫌なこと」を率先してする。 「嫌なことはするな」が体にしみついていたら、「苦労せよ」を避けようとする。 しかし、世の中の流れは昔も今もまったく変わらない。現代だけが特別だと思うのは、自然に対する畏敬の念の欠落だ。 夜空の多くの星の光は、数億年、数十億年前に発した光で、ひょっとしたら、現在この瞬間にはその星は死んで存在していないかもしれないのだ。 数千年前から、大河を流れる水は何ら変わっていないのである。 科学の発達が、人間を自然から乖離させ、「若いうちに苦労せよ」という自然の教えよりも、「嫌なことはするな」という科学の教えを選択してしまった現代人が必然的に直面する問題が、この不登校症という現代若者の無関心病だ。 それは現代人の宿命でもある。 その若者が年を重ねていくにつれて、不登校症から出社拒否症になる。それは当然の結果だ。 日本人が活力を失い、無気力状態になってしまったのが、二十世紀末からの日本衰退の原因であり、不登校症から出社拒否症がその病原菌なのである。 「嫌なことはするな」の言葉を死語にして、「若いうちに苦労せよ」をもう一度蘇生させるしか、日本を救う途はない。 正一は、この数週間の間に「嫌なこと」ばかりをさせられていくうちに「嫌なこと」に対して鈍感になっていった。 「これが当たり前だ」と思った瞬間、「嫌なこと」が嫌に感じなくなってしまった自分に気がついたのだ。 健吾が言った「最近、正一兄さん、明るくなって毎日が楽しそうだよ」が、正一の変貌ぶりを示している。 健吾にとっても、正一の変貌ぶりを目の当たりにした経験は、大きな収穫だった。 毎日朝早くから、決められたことを決められた通りに始める。人生を充実したものに出来るかどうかはすべてここにかかっている。 この数週間、正一は体で経験した。 夏でも、早朝はひんやりする軽井沢の自然の中を走っていると、自分も大自然の中に溶け込んで、大いなる保護を受けていることに気づく。 それから食事の用意をする。 人間が生きるための基本要素である衣食住に自ら関わることは、まさに生きている実感を味わせてくれる。 そして一日の締めくくりを自らの意志で閉めるために、必ずまた決められたことを決められた通りにして終える。 早朝、目が覚めたときに大自然の中に独りで生きていることを感じるために、夜、眠りに就くときも独りになりきる。 その為には、世の中と隔絶する必要がある。自己の意志で決めたことを必ず決めた通りにして一日を終える。 生きていることを感じることは、瞬間を感じることであるが、時間は光の速さで通り過ぎていくから、その瞬間を捉えることは極めて困難だ。 しかし一日を生きていると感じることなら出来そうである。 自己の意志で一日を始め、一日を終えると、その実感を得ることが出来るのだ。 毎日を不規則に生きている者に、この実感を得ることは不可能である。 特に、他との関わりにおいてではなく、自己だけの関わりにおいて一日を完結させる習慣を持っている者は、大自然、大宇宙との一体感を持てる。そこから大いなる勇気が沸いてくる。 正一は、生きることの素晴らしさを理屈では解らないが体感したのだ。 そして、生きることと生活することの違いが他の動物と人間の違いであることも知った。 生きていることを感じるためには、大自然に生かされていることを知らなければならない。 生活していることを感じるためには、自分が自分を生かしていることを実感しなければならない。 会社に行ったり、学校に行くことは仕事であり、生活していることであっても生きていることにはならない。それは他との関わりであって自己だけの関わりではない。 生きるということは、自己だけの関わりの中で生活することだ。 この違いを一日二十四時間過ごしていく中で、正一は知ったのだ。 やるべきことをやった上で、自由意志で勉強をすることの喜びも知った。 「勉強することは、こんなに楽しいものなんだ。受験勉強は勉強なんかじゃない、無味乾燥な実に空しい作業だ。こんなつまらない勉強の結果で名門大学に入ったなんて自慢するのは哀れな人間だ」 正一は、栄一に聞かれた「大学に行って何を修得したいんだ?」の意味が始めて解った。 その時、栄一を父親としてではなく、人間として尊敬出来る気持ちになり、自然に毎日の生活が楽しいものになっていったのだ。 十七才の少年が、こんな時代に、この真理を知ることは幸運なことである。 そしてそのそばで、八才の健吾が目の当たりにしたことは、健吾の一生に大きなインパクトを与えた。 太一や恵津子とのせっかくの楽しい夏休みを棒にふっても、軽井沢の夏休みを選んだ健吾の直感を、栄一は大事にしてやりたかったのだ。 一ヶ月あまりの軽井沢での体験は、栄一自身にとっても意味のあるものだった。 健吾から正一の変貌ぶりを聞いた栄一は、「やはり二人を連れてきて良かった」と思った。 夏休みもあと一週間となった。 あれほど最悪の夏休みだと思っていたのに、あと一週間で終わり東京に帰るとなると返って憂鬱になる正一は、人間の喜怒哀楽のいい加減さに驚くばかりであった。 一方、健吾にとってはこんなに楽しい夏休みは今までになかっただけに、あと一週間となると正一と同じように憂鬱になるはずなのに、健吾はまったく変わらなかった。 「健吾は、東京に帰るのが嫌じゃないのか?」 兄の正一から聞かれた。 健吾と正一は八才も歳が離れているだけに、正一のことを兄と言っても、すぐ上の正平とは違ったイメージを持っていた。 四才違いの正平だが、ほぼ自分と同じ世代の感覚であったから、正平が友達にいじめられると、自分が守ってやるという行動に出たこともあった。 それが正一になると、親と兄をミックスした感覚であったから、兄といえども甘えてみたい気持ちが起こる。だから軽井沢に従いて来たのだ。 「だって、東京に帰ったら太一が待っているから」 健吾は、敢えて恵津子の名前は出さなかった。やはり、どこかに恥ずかしさがあったのだろう。 「そうか。健吾は、どこにいても楽しいことがあっていいなあ」 「正一兄さんは、東京に帰りたくないの?」 健吾に聞かれたが、正一は、自分の複雑な心中を説明出来なかった。 東京に帰っても、別にどうってことはないのだが、軽井沢の生活が自分を変えてくれたという思いが強いだけに、もう少しこのままでいたかっただけなのだ。 「うん、東京が嫌というんじゃなくて・・・」 「それじゃ、ここにずっといたいんだ、正一兄さんは」 「うんん・・・」 正一は健吾に何て言えばいいのか分からなかった。 朝から晩までメニューのように決められたことをする、一見単純な生活スタイルに無上の充実感を感じるのは一体何なのか。 人間というものは常に自分を特別なものにしておきたい欲望がある。人間の心の中に潜む自我意識というかエゴイズムというものがその正体なのだが、これが平凡という言葉を非常に嫌うらしい。他人に対して優越感を持つことで満足するやっかいな代物で、健吾の年頃から頭をもたげてきて、年を重ねるごとに強くなっていく。 正一の年頃には、現代日本人の人格を低劣化せしめている最大の要因である大学受験というエゴ増大菌と直面しなければならない。 特に最近の若者は、このエゴ増大菌に完全に蝕まれて、受験勉強に良い成績を上げた若者は、完全にこの伝染病に冒されている。その原因は塾通いだ。 幸いにも良い成績を上げることが出来なかった若者でも、高校を卒業したままの方がずっとましなのに、敢えて人格を落とすためにいかがわしい目的で新設された大学に入って、卒業証書を貰うためだけに四年間という大事な時間を無駄にしている。 軽井沢の生活が正一の中にある、このエゴ増大菌を殺菌してくれたのだ。 しかし、正一には感覚的には分かっていても、論理的には理解出来なかったし、説明することも出来なかった。 「お父さんに聞いてみろ。僕には難し過ぎて、健吾に説明してやれないよ」 正一は優しく健吾に言ってやった。 「ふうん、そんなに難しいことなの・・・」 そう言った健吾だったが、言葉には表せないが何となく分かっていた。 「神さまは、楽しいことは、いつも最後に残しておいてくれるんだね」 健吾は、無意識に正一に言ったが、その時の正一は聞き流すだけであった。 |