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第十八章 競争原理が生む友情 スポーツマンシップというのがある。 その中でも、最も鮮烈に表われるのがボクシングだ。 いくら最強のチャンピオンでも試合前は恐怖で一杯だそうだ。 まさに殺すか、殺されるかのサバイバルゲームで、三分間が一時間のような長さに感じるらしい。 ところが試合が終わると、お互いに勝者も敗者も称え合って抱き合う。 決してポーズではなく、心底相手を思いやり、身体の心配をするのだ。 ちょっと前まで必死で殴りあいをしていた同士が思いやる。 現代の戦争での兵隊は最新の武器で戦うから、人を殺しても相手が無機物のように思えて、何の感情も湧かないただの殺人マシーンだ。しかし昔の戦争は顔をつき合わせて戦う戦士で一瞬の隙を見せたら死が待っているから、自から瞬間に生きる状態にある。敵が憎いという感情はなく、返って同士の感情が湧くらしい。極限の状態に置かれるとどんな人間でもそういう境地になれるらしい。 戦争経験のある人の精神力が強靭だと言われる所以である。 ところが現代の兵隊は、まさに無機的殺人マシーンになって感情がまるでないから命の尊厳さを知らないマニュアル化人間になってしまっている。 同じことが学校教育でも為されているので、子供たちの表情がますます無機的になっていく。まるでロボットだ。 試験をしても結果を公表しない。差別になるから。 運動会で駆けっこしても、順位をつけない。差別になるから。 ところが、あの子の家は金持ちだ。この子の家は名家だ。あの学校は名門校だ。 あの会社は一流大企業だ。 こんなことには、親もやっきになって子供を教育する。 人間に差ができるのは、まったく同じ人間ではないのだから仕方ないことだ。 ところが機会に差をつけて、結果に差をつけないようにする。 これが最も冷酷な差別なのである。 人種差別がその典型である。 白人だから優秀。有色人種だから劣っている。黒人なら低劣。 生まれてくる子供に、白人として生まれるか、黒人として生まれるかの選択の権利はない。偶然という機会だけであって本来平等である。 従って機会を平等にすることが一番大事なことで、結果の差は各人の努力差が出るから仕方ないのである。 人種差別は機会の平等を生まれた時に剥奪する、人間にとって最も忌むべきことである。 健吾の通う洗足小学校は、二学期から試験での競争を敢えてさせる方針を打ちだした。 一部の先生や父兄が猛反対したが、校長は強引に押しきった。 その背後にはPTA会長の筆一がいた。 筆一が夏休みのキャンプでの体験以来すっかり変わって、本物の教育に目覚めたのだ。 今まで、娘の恵津子に、塾に通わせ、習い事もさせる、いわゆる教育家庭だったが、今は恵津子の好きなようにさせ、恵津子も自分の好きな絵の勉強だけで、他はみんな止めてしまった。 塾にも行かなくなって、これまで優秀な生徒だったが、二学期からはどうなるか分からない事態になったが親の筆一は、それが一番子供に良い躾だということに気づいたのだ。 競争させて、ライバル心を持たせて、そこから真実の友情が生まれるのだ。 太一と佳代は奇しくも、そのような中で勉強に目覚めようとしていた。 小学四年生の三学期も終わりに近づいて、桜の咲く季節がまたやって来た。 桜の咲く季節は、雨が多い。 辺りいっぱいに薄桃色の花で埋め尽くされた桜並木は、まさにあでやかさと明るさをまわりにふりまく。 しかしそこへ無情の雨が降る。 桜の木は痛い痛いと悲鳴をあげて花を散らす。 雨でずぶ濡れになった辺りいっぱい、散った桜の花が埋め尽くす。 散った花が辺りを埋め尽くせば埋め尽くすほど、桜の枝は淋しさを増す。 桜の枝の淋しさが、毎年洗足小学校の生徒たちの心にも襲ってくる。 特に、小学五年になる時に、クラス替えが行われるからだ。 健吾、太一、佳代、恵津子は同じクラスのA組だったから、クラス替えでどうなるのか、気がかりで仕方なかった。 一人、岩田浩だけはB組だったので、何の心配もしていなかった。 五年生になった始業式の日、健吾は恵津子と一緒に登校した。 もう四年A組の教室はない。 学校の講堂に直接行くと、すでに太一、佳代、浩が来ていて、ざわざわ騒いでいた。 講堂に、新しいクラスの担任先生の名前と生徒の名簿が掲載してあった。 「おい健吾!お前と上村はまた同じクラスだ」太一は健吾の様子を窺いながら言った。 いくら言葉で取り繕っても、顔には正直に出る。 以前の健吾は、顔には出ているのに、言葉で素直に表すことをしなかった。いや出来なかったと言った方がいい。 いわゆるシャイな子供だったのだが、子供なりにいろいろ経験を重ねていくうちに変化していったのだ。 小学校というのは中学や高校が三年間に対して、倍の六年もある。 しかも十才つまり小学四年ぐらいまでに人間としての本質がほぼ固まってしまうから、小学高学年になると、同じ子供でもまるで別人のように変わってしまうことが多い。 女の子などは、体型的にも大きく変化する頃で、成熟の早い子供なら、ほぼ大人に近い体型になっていくのが、この頃なのである。 当然、それに伴って心の変化も大きくおこる。 「本当?やった!」健吾は嬉しさを素直に表して、恵津子の顔を見た。 「よかった」恵津子ははしゃがずに、ほっとした様子だった。 「それで太一君と佳代ちゃんは?」恵津子は佳代の方を向いて聞いた。 「わたしたちは、五年D組で浩君も一緒よ。みんな一緒なら一番良かったんだけど」 そう言った佳代だったが表情は明るかった。 一人、浩だけがちょっと不満そうな様子だったのに気がついた健吾は、浩に声をかけてみた。 「おい、浩。何か不満なのか?」 岩田浩という少年は、腕白な子供のように思われてきたが、実は正義感が非常に強い少年だったのだ。 過去に起きた健吾との喧嘩、西本二朗との件、自分と関係がないのに、正義感が言わなくてもいいことを言わせてしまったことから起きたことだ。 「うん、何でみんなが一緒のクラスにならなかったのだろう?みんなが仲間同士だということを、先生だって知っていたはずだろう。俺、今から先生のところへ行ってくる!」 健吾と恵津子が五年A組で工藤先生が担任となり、五年D組の担任が川端先生になっていた。 「そうか、あのハニワの野郎、俺と浩が悪だから逃げやがったのか。優等生の健吾と上村だけを自分の組に入れやがったんだ。頭に来た!浩、俺も一緒にハニワの野郎のところに行こう!」 さっきまで納得していた太一まで騒ぎ出した。 佳代と恵津子は、あまりにも幼稚な彼らにあきれていた。 「佳代ちゃん、何だよう?何かおかしいか?」 最近の学校での太一は、佳代が太一の父兄のような立場で、太一も認識していて、どんなことでも佳代に相談していた。 「そんなこと出来るわけないでしょう。ねえ恵津子ちゃん?」 恵津子も頷いていた。 「健吾、お前どう思うんだ?」 何でも思ったことが言えるようになっていた健吾だったが、この件では正直、太一に聞かれても、どう返事していいのか分からなかった。 すこし考えていた健吾は、急に、「うん、僕もハニワのところに行こう!」 佳代と恵津子は、思いもかけない健吾の返事にびっくりしてお互いに顔を見合わせた。 その時、すでに三人は工藤先生のところへ向かっていた。 「馬鹿もん!お前たち調子に乗るな!」 ハニワのあだ名の工藤先生は顔を真っ赤にして三人を怒鳴りつけた。 今まで、こんな迫力のあるハニワ先生を見たことがない。 「工藤先生、俺たちをどうして別けたんだ。おとなしい垣内と人気者の上村だけ自分のクラスに入れて卑怯だ」 太一のこの言葉でハニワ先生の顔は赤鬼になった。 いくら太一が気丈夫でも所詮は十一才の少年だ。 大人が本気になって怒れば相手にならない。 さすが、太一も黙ってしまった。 「谷山!お前その口の利き方は何だ!先生に謝るのだ」 太一は黙って下を向いていた。 突然、ハニワ先生の拳が太一の頭に飛んで来た。 太一は吹っ飛んで窓際の壁にぶつかって床に倒れた。 太一は、頭から血を流し、床に臥せて「ううん!」と唸っていた。 我に返ったハニワ先生の顔から血の気が引いて、赤鬼が青鬼になってしまった。 「谷山!大丈夫か?」 太一を抱き上げて、大きな声でハニワ先生が泣き出した。 健吾と浩は、呆然と立ったままで、顔は青ねずみのようだった。 「先生、ごめんなさい。俺、いや僕が悪かったんです」 太一は、必死に自分の身を案じてくれて泣き出したハニワ先生に心を打たれたらしい。 今まで聞いたことがないような太一の丁寧な言葉に、健吾と浩は驚き、大人の迫力をまざまざと見せ付けられたのだ。 岩田浩も大人の誇りを捨て身で守ったハニワ先生に感動して、泣いているハニワ先生に自分の白いハンカチを差し出した。 「ここで、自分も何かをしなければいけないんだ!」 頭では分かっているのだが、体が動かない健吾だった。 その時、頭から血を流している太一が健吾に言った。 「健吾、これは僕と健吾の喧嘩だよ。いいだろう?」 太一の言葉で、自分が今何をしなければならないかやっと分かった健吾は、太一に向かって、「太一、僕を殴れ!」と叫んだ。 この様子を見ていたハニワ先生は、更に号泣した。 浩は感無量になって、「太一、僕も殴れ!」 ハニワ先生に連れられて講堂に戻って来た三人は、頭にこぶをつくったり、額から血を流したりして、待っていた佳代と恵津子は仰天した。 「どうしたの?工藤先生、どうしたんですか三人は?」 恵津子が工藤先生に聞くと、太一が、「僕、いや俺たち三人が工藤先生の前で喧嘩を始めてしまって、工藤先生に止められたんだ。なあ、みんな!」 健吾と浩は「うん」と言って頷いた。 横で工藤先生が顔を赤くして、黙っていたが、その目は潤んでいた。 |