第七章  般若の面

殺人現場はまったく同じ処であったが、佐藤の死顔は哀しみ一杯の表情であったのに対し、夫人は喜びの死顔で、まるで殺されるのが嬉しくて堪らないような表情をしていたと、永井刑事は隆二に説明した。
「一緒にホテルまで入っているのに、犯人はどうしてそこで殺さなかったのでしょうか?」
隆二が素人の発想で永井刑事に質問すると、刑事は優しい表情で答えた。
「ああいうホテルでは、ビデオを撮られている危険があると思ったからでしょう。それと、『今回は強盗殺人じゃないぞ!計画殺人だ!』と我々に挑戦してきたのでしょう。犯人は冷静沈着な異常に偏った考え方をする人間でしょうね」
さすが刑事だけに、的確な分析をしている。
「異常に偏った考え方をする人間と、異常性格者とは違うんですか?」
隆二が突っ込んだ質問すると、永井刑事は表情を曇らせて問い返してきた。
「何か、心当たりの人間でもいるのですか?」
「いえ、別に。ただ、刑事さんの言葉が理解出来かねたものですから・・・」
隆二の心の中で、「異常」という言葉が、高田の悪魔のような目を思い出させたからだが、高田の名前をこの時点で出すというのは余りにも早計だと思った隆二は、その場をごまかした。
しかしプロでやり手の刑事をごまかすことは不可能だ。
「あなたは、最近、トーホー商事を退職されたそうですね。退職時の上司であった高田さんという方は、どんな方ですか?」
「殺された佐藤さんの上司でもあった方です。敬虔なカトリック信者で真面目一方の技術屋出身の役員さんです」
「最近、佐藤さんとはうまくいってなかったようですね?」
「ええ?わたしのことですか?」
戸惑う隆二に、笑いながらも冷静に刑事は続けた。
「あなたは、容疑者にはなり得ませんから・・・。死んだ佐藤氏と高田氏との関係です」
「子会社の整理問題で、ぎくしゃくしていたようです」
「どうして、あなたはそれを知っているのですか?」
ああ言えば、こう言う。刑事というのも悲しい職業だ。
「高田社長からじきじき聞きました」
「ぎくしゃくというのは、具体的にはどういうことなんでしょうか?」
曖昧な言葉をそのままにしておかないのが刑事というものだ。必ず具体的な言葉を吐かせる。
「子会社の社長である高田さんが、本社の専務と佐藤さんが勝手に整理作業を進めた結果、ハミゴにされたと恨みの言葉を吐いておられました。本社の専務というのは山科という方です」
永井刑事は微笑ながら口を曲げて言った。
「わたしの質問責めに辟易なさっておられる。だから訊かれそうなことを、先回りしてお話される。手間が省けて、わたしも助かります。
話は変わりますが、般若の面のことをご存知ですか?」
「ええ?どういうことですか。言っておられることがよく判りません」
隆二は苛々してきた。
「般若の面というのは、人間の喜怒哀楽をすべて表情として表しているのです。よくそちらから手紙を持って来てくれました。これからの捜査に助かります。ありがとうございました」
永井刑事は席を立った。
「刑事という職業は、そのままで心理学者になれますね」
精一杯の皮肉を言って、隆二も席を立った。