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第一章 自ら命を絶つ権利 いくら人生を充実した楽しいものにしても、最後にやってくる死の問題を自分の手で解決できない限り、人生は空虚なものになってしまいます。 “死んでやる!” 艱難辛苦に苛まれた人間が窮して最後に吐く言葉です。 乳飲み子が誰に教えられるわけでもないのに、母親の乳首をしゃぶるように、“自分もいつか必ず死ぬ”という死の概念を知った人間は誰でも、生きるのに窮すると死ぬことを考える。 これは最早本能だと認めざるを得ません。 生きることの苦痛が極致に達すると本能的に死を志向する。 死が最期の切り札(スペードのエース)だからです。 では、スペードのエースを所有しているのは誰でしょうか。 スペードのエースを所有しているのは他ならぬ自分である筈なのに、所有することを許されていないのが、この世という人間社会です。 自分の命を自分で絶つ権利を許さないのが、死の概念を知った、わたしたち人間社会です。 死を論ずることはタブーだ。 死は恐ろしいものだ。 自殺したら地獄に落ちる。 一体誰が、こんなデタラメなことを、わたしたち人間社会に押し付けたのでしょうか。 人生というゲームをしている当人がスペードのエースを持つことが許されないのでは、これは最早ゲームではありません。 スペードのエースという最期の切り札(カード)を切る者が、人生というゲームをしている当事者です。 死を論ずることはタブーだ。 死は恐ろしいものだ。 自殺したら地獄に落ちる。 こんなデタラメなことを信じ込んで、自分の人生というゲームの結論に際して、スペードのエースを切ることが出来ない。 だから、わたしたちは悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれる人生を送る羽目に陥っているのです。 自ら命を絶つという権利を我が手に取り返すことです。 |