第三十四章 落ちこぼれ道場

ワークは始まった。その名も「落ちこぼれ道場」だ。
初日に、お屋敷町のご主人たちが12人、その日から一緒に暮らすようになった。
通いで、道場にくる商店街の人たちは明るい。知識はないが、心がある。
その心で、難しいワークを理解していく。
逆に、お屋敷町のご主人たちは、ほとんど大企業の社長さんや重役さんたちだ。知識はあるが、頭だけの経験で、体での経験はすべて逃げてきた連中だ。責任回避能力が、大企業の幹部になるための必須条件だ。
ところが、ワークでは、自分から進んで危険の中に飛びこんでいく勇気が要求される。
そうなると、彼らは怖じ気づいて、体が硬直して動かない。
いっぽう、商店街の人たちは、もともと失うものがない強さがあるから、どんどん進んで危険の中に飛びこんで行く。
そうすると、そこに思いもかけない経験が待っている。それに彼らは感動した。
なぜ、こんなに感動するのか、自分でも解らないと言う。
「それは、人間があまりにも物質の豊さを追い求めてきた結果、置き忘れてきたものを、思い出したからだよ」とご老体が言うと、商店街の連中はみんな頷いていた。
ところが、お屋敷町の主人たちは、そこへのジャンプが出来なくて立ち往生していた。
ある日、道場の前に、黒塗りの車が3台止まった。
有名な大会社の社長秘書が、3人、道場の玄関で立っていた。
何とか、道場に篭ったまま、会社に出てこない社長を引っ張り出そうと、乗り込んできたのだ。
五郎は、重役連中の中には、ああいった生活に嫌気がさす、まともな精神の持ち主が、たまにはいると思ったが、まさか社長まで昇りつめた人間がどうしてだろうと不思議でならなかった。
3人の老人は、頑として車に乗ろうとはしなかった。
とうとう、あきらめて秘書たちは帰って行った。
「社長までなって、何に嫌気がさしたのですか?」と五郎が聞いた。
「まあ、一種の姑との確執だよ」と3人が口を揃えて言う。
五郎はすぐに察しがついた。
最近の日本の大企業は、トップがはっきりしない。普通なら社長だが、前社長が会長にいて、元社長が、名誉会長とか相談役として、にらみを利かしておるところが大半だ。
そうなると、社長と言っても、以前の社長が名実ともにトップの時代であれば、せいぜい常務取締役程度だ。しかも株主総会は社長が議長を務め、株主の厳しい質問に答えなければならない。
実権を持っている会長や名誉会長は、その陰で隠れている。
大企業の株式会社では、経営トップの年一回の株主総会という、針のむしろを、実力会長で逃れる方法を見つけ出したのだ。
いい面の皮は社長だ。
そして何か、会社にスキャンダルが起きると、マスコミに追いかけられ、活字の暴力で袋叩きにあい、そして引責辞任だ。
ここに、逃れてきた初老の紳士たちは、多分そんな連中だ。
ある一人の紳士がこう言った。
「社長になって、気持ち良い思いをしたのは、最初の1ヶ月だけだった。後は蛇の生殺しだ」沈痛な面持ちで頭を下げて、「もう、まっぴらご免だ」と呟いた。
日本の経済が、長く低迷している一つの原因が、ここにあるのではと、五郎は思った。
「あの、商店街の主人たちのように、なぜ、もっとスカッとしないのだろう。
日本の政、官、財のトップたちは、あまりにもじめじめしている。中には飲料水のメーカーで、ついにトップのブランドを追い抜いた名経営者と巷で、誉めちぎられている、明るい名誉会長さんがいるが、間抜けの明るさで重厚感がない。多分、他人の功績を盗んだのがオチだろう」
この「落ちこぼれ道場」に駆け込んでくる連中は、ますます増えて行くことになるのだった。