第三十八章 久しぶりの寝床

ご老体と五郎は、渋谷駅の連絡通路に久しぶりに行った。
この連絡通路に11人のホームレスが、寝床を構えていたのである。
その通路は、小綺麗に掃除をされて、何か連絡通路の幅が広くなった感じがした。
前にいた通りに二人は寝床をつくった。そして二人は自分の寝床に横になった。
「やはり。ここが一番落ち着くなあ」と、ご老体が五郎の寝床に顔を突っ込んで言った。
「何年間、ここにおられたのですか?」と五郎が聞くと、
「もう10年以上になるなあ。バブルのはじけた一年後だから」
「それじゃあ、まだ証券会社の損失補填問題が明るみに出る前ですか?」つっこんだ質問を、五郎はしてみた。
「そうだ。問題が明るみに出たのはもっと後からだが、大手企業や暴力団がバブルのはじけで大損失を出した時、証券会社と銀行がグルになって彼らに巨大な融資をして株を買わせ、あげくの大損失だから、彼らにとっても文句も言いたくなるわけだ。そういった問題が、はじけた直後からはじまっていたんだ」
「辞められた直接の原因はなんだったんですか?」
「暴力団は別として、大手企業は、企業間同士の株の持ち合いが、日本の大企業の経営者にとっては、個人株主からの防衛策であったから、どうしても付き合いで株を買うことが多かった。そこから証券会社との深い関係が出来ていった。その中での株ころがしで儲けようという魂胆が、お互いに分かっていた。だから証券会社も彼らから損失補填を要求されても仕方ない面はあった。しかし、わしが頭にきたのは、個人の投資家にも、額は違うが、同じやり口をしていた。つまり、銀行から融資させて株を買わせていた。しかし、彼らには証券会社は、自己責任での売買を盾に、いっさいの責任を個人投資家に押しつけた。こんなことが、まかり通る国は、自由主義国家ではない。明らかに一部の人間が富を独占している国だと分かった時だ」
「簡単に辞表を出されたのですか?」としつこく聞く五郎に、
「その時の会長の、田口筋也を、会長室で、放り投げてやったよ」
「やはり」と頷く五郎に、ご老体は、
「あいつら、トップに昇りつめた連中の頭は、完全に麻痺してしまっている。正常な判断力は皆無だ」
五郎はそこで、話しを自分のことに移していった。会社を退任してからのこと、特に正月の元旦の出来事を、話した。
「やはり、お前さんは、ある程度いくところまで行ったんだね。そんな臭いが、最初からしていたよ。あのお屋敷町の連中と、同じ臭いをしていたもんなあ」とご老体が、あの頃のことを思い出しながら言った。
「わしの場合は、傷負いの一匹狼だ。お前さんの場合は、自分の勘違いから起きた飼い犬のちっちゃな傷だ」
ご老体の言っていることは、五郎には、最近良く分かっていた。
まだまだ、自分の腹がすわっていない原因はそこのところの違いだということを。
「まあ、だけどお屋敷町の連中といい、これからお前さんたちのような連中が日本には増えてくるだろうなあ」とため息をつきながら、ご老体は言った。
「我々のような、まだ筋金が一本通っていないような連中では駄目ですか?」と深刻な顔をして五郎は尋ねた。
「何かが一本足りないのだ。それが何なのかよく分からない」と言いながら、
「今日は、久しぶりに、こうやってお前さんともじっくり話しが出来たし、一番落ち着く寝床に戻れたし、よく眠れそうだ」とご老体は言って、自分の寝床に戻った。
「人間の喜びなんて、絶対基準などあるはずもない」と思いながらも、五郎も落ち着いた気分で眠りに着けた。
そして、今までに見たことなど一度もない夢を五郎は見た。