第四十章 切れぬ社会の糸

トーホー商事の倒産で、株主が現役および過去10年遡ってのOB役員を相手に株主代表訴訟をおこした。
五郎も当然その対象に入っている。しかし五郎の行方は誰も分からない。
五郎が退任したのは去年の6月だった。そして家出して、ホームレスになったのが今年の1月だった。
そしてトーホー商事が倒産したのが昨日だ。
「人間なんて、何が幸いするか分からないもんだなあ」と五郎は思っていた矢先のことだった。
「まあ、まさか渋谷駅でホームレスをやっているなんて誰も信じられないだろう」と高を括っていたのだ。
ある日、あのゴルフ事件の中村部長が自分の目の前に立っていたのを見て、五郎はびっくりした。
最初、五郎は知らん振りをして、寝床に入ろうとした。
「山本さん。逃げることはないでしょう」と言う中村にかちっときた五郎は、気持ちを取り直してから、言った。
「どうして、ここにいることが分かったのかい?」
「最初は、お宅から、あなたが家出したということで、どこか心当たりはないかと連絡がありました。それで我々なりに調べたのですが、まったく分かりませんでした。ところが、その後、あの岩下の野郎が、ここを通った時にあなたを見たのです」
五郎は、偶然の出来事とは言え、会社の連中が、自分のことを知っていたのだ、と思うと、眩暈がしそうになった。
「それで、家の者は知っているのかね?」と、おそるおそる聞いてみた。
「ええ、ご存知ですよ。こちらから連絡しましたから。驚いておられましたよ」と言う中村の口調は、まったく血の通っている人間とは思えなかった。もともと、愛想のいい男だったから余計そう思ったのか、五郎は気が遠くなっていくような気持ちになった。
「わたしがここにいるのを岩下君が見たのは、いつごろだったのかい?」とまた、おそるおそる聞く自分に、五郎は、ふと気がついて、知らぬ間に社会から落ちこぼれたホームレス根性になってしまっている、と内心思った。
「もう、3ヶ月前ですよ。最初の頃はわたしも、ここに数回来たことがありましたが、会社がおかしくなって、そちらの方に気をとられて、最近はご無沙汰していましたが」
中村が、喋るたびに、頭がおかしくなっていく五郎だった。
さっきまでは、会社が倒産して、自分も株主訴訟の対象になっているのを知って、ホームレスになったことが幸いしたと思っていたのに、その直後に谷底に突き落とされたのだ。生きている限り、危険から逃れることは出来ないと「Zen Master」に書いてあったことを思い出す五郎だった。
「ところで、何か、わたしに用があるのかい?」としらばくれて中村に聞いてみた。
「会社が倒産したことは、ご存知ですか?」と言う中村に、
「ええ!会社が倒産したのか!」と驚く振りをしてみた。
「やはり、ご存知なかったのですか。実は、私も、無職の身になってしまいました。そしたら急に、あなたに会いたくなったのです」と言う中村の顔は、今までの仮面を被りながら、サラリーマンを演じていたものとは違っていた。
それを聞いた五郎は、ますます頭が変になっていく自分に気づかなくなっていた。
それを聞いていた、ご老体が、五郎の様子を察して、ふたりの中に入った。
「まあ、こんなところではなんだから、場所を替えたらどうかね」
ふたりも、お互い、気が動転していたから、ご老体の言葉で、我に帰った。
「この格好じゃ、ちょっと、お茶でも飲みに行こう、と言う訳にもいかないから、公園にでも行こう」と五郎が言って、立った。
「はい、そうしましょう」と中村はこたえて、五郎の後をついて行った。
そのふたりの姿を見て、ご老体は思った。
「ホームレスになっても、社会との糸は、完全には切れないもんだなあ」