第四十三章 恭子との会話

中村は、結局そのまま居座ってしまった。あさりも五郎以上に早く慣れ、あっという間にホームレスらしくなった。
上原でワークに参加していた恭子が、久しぶりにやって来た。
新入りの中村を見て、五郎にたずねた。
「あの方、山本さんがいた会社の方なんですって?」
「うん、そうなんだ。会社が倒産してね、家族からも見放されてやって来たんだ」と五郎が話している表情を感じとって恭子は笑いながら言った。
「山本さんは、嫌な大企業のサラリーマンで、そこそこ偉くなられた方だけど、本質的には、そういう世界には向いてなかったんでしょうね」
その恭子の言葉に、五郎はぎくっとした。
そういう世界に、どっぷりつかった自分に嫌気がさしたことは事実だが、何十年間も結構楽しくやってきただけに、思わぬ恭子の言葉だった。
「そうかね。自分では、結構うまくやってこれたつもりだったんだが」という五郎に、
「だって、それほどに、いろいろな分野で、才能を持っていらしたのに、大企業では、ただ、単なる器用貧乏になってしまうだけじゃないかと、わたし思いますけど」
恭子は、さらっと言いのけたが、この言葉が五郎の、これからの人生に大きな影響を与えるとは、五郎自身も気づかなかった。
五郎は、内心、それは確かに言い得ているとは思った。
大企業では、才能は邪魔になるだけだ。
組織という機械に合わせた部品として歯車の一枚になりきれることが、出世の重要な要因だ。そこに自分より大きな歯車、つまり上司と、小さな歯車つまり部下との絡みを、うまく調整する能力があれば、必ず出世する。
逆に言えば、この二つの能力、つまり適応能力と調整能力さえあれば出世できるのが、大企業だ。
ところが、この能力に創造力は含まれない。だから新しい事業を始めるとか、外部環境の変化で企業に向かい風が吹くと、まったく解決することが出来ない。
一方、従来の事業を踏襲するだけで経営が継続出来たり、外部環境が、バブルの頃のように追い風になると、この能力の利点を発揮する。
五郎が、恭子の言うように、適していないとすれば、適応能力も調整能力もあり、創造力もあるという二律背反するところがあるからだ。
結局、中途半端になってしまう。だから、結末は不適応の烙印を押されたのだ。
精神世界では、徹底することは、大きな長所にもなるが、それと同じだけ大きな短所にもなる。
仏教が教える中道の精神が、大切になる。もちろん中途半端な中道ではなく、いったん、両極端を経験した上での中道なのだ。「Zen Master」ではそう教えていた。
だが、物質世界の典型である大企業では、徹底しなければ成功はしない。
王道の成功の道は、自己の実力のみを頼みとして徹底することだ。だがこの道は困難を極める。中小企業、大企業の創設者が、その類だ。
だが、既に大企業であったところへ、入社した人間は、すぐ覇道の道を選ぶ。
既成の体勢の中での覇道とは、適応能力と調整能力を発揮する道を指す。
現在の、日本の大企業の中で、王道の道を極めた会社はもうない。
すべて覇道の道を歩んでいる会社ばかりで、そこのトップもそうだ。
五郎は、結局、あの世界では負け犬だったのだ。
今の日本の政界も、官界も、財界もすべて、そのピークに来ている。ピークに来れば落ちるのが摂理だ。
日本という国家が、これからやってくる新しい世界の動きについていけないのだ。
五郎は、そう思うと、何か自分の人生が、すごろくで振りだしにもどったような気がした。
「これからこそ、山本さんのような方が、日本には必要なのではないかと思います」
と恭子が言ってくれた言葉が、ものすごく大きな励みに感じた。